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言葉と文化
by radiodays_coma13
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「人」を愛する会(酒の話)
 ハイ、また、お酒の話です。タイトルから、なにかありがたいお話と勘違いした人はスイマセン。でも、せっかくだから、最後まで読んでもらえると嬉しいやね。まま、まずは一献どうぞ。とくとくとくっ。「人」というのはお酒の名前なのです。兵庫の加西にある「富久錦」酒造という所が出しているお酒です。これがね、ちょっと不思議なお酒なのです。どう不思議かというと、注ぐ人によって味がまったく異なってしまうんです。いやいや、嘘じゃない。僕はこう見えても疑り深い方なので、そう簡単に鵜呑みしたりはしない。そもそも「人を愛する会」とはその感覚が本当なのか自分自身でも信じることができなくて、多くの人に検証してもらおうということで、始めたのです。

 会の基本姿勢はつまりそれ。ただの飲み会ではなく、一人でも多くの人に「人」を酌み交わしてもらおうと。ルールはパーティーのホストである僕が任意にもう一人のホストを選び、お互いに任意のゲストを5人づつ選び出し計12人で行う。ここで、ゲスト以外の人はできる限り初対面が望ましい。そこで、各自の前に、とっくりを一本置き、代わる代わる酒を酌み交わしてゆくというシンプルなもの。これまで、その会を10回以上行ってきたのですが、結果的には、誰一人、その不思議を否定する人はいませんでした。

「人」を愛する会(酒の話)_c0045997_014377.jpgさて、その不思議は実はここで終わりではありません。このお酒、どうやら味にその人の性格を反映するようなのです。厳しい性格の人が注いだ酒はキリリと辛く、八方美人でニヤニヤした人のはべったり甘ったるく。これがどうして証明できるかといえば、そのためにわざわざ初対面の人々を集めたのです。彼らにそれぞれの人が注いだ酒の味を表現してもらう。すると、不思議なことに、その表現とその人の人柄が一致している。まだまだ不思議があります。このお酒、注いだ人と注がれる人の関係をも味として表現しているように思われる節がある。Aという人が注いだお酒は共通する一定の特徴を持つのですが、特定人に対してのみ、Aさんのお酒は澄んだり濁ったりする。これはあくまでも結果論なのですが、日本酒が苦手な人が、ある特定の人が注いだお酒だけを飲むことができた。目隠しをして猪口を並べても、その人のお酒を判別することすらできる。で、後日談ですが、そのお二人さんは、その会がキッカケでご結婚なれさました。この実験の副産物として、その会からなんと3組もカップルが誕生し、2つのビジネスが成立しました。

 では、他の日本酒ではどうかというと、実はちょっと曖昧なんですが、そのような特徴があるものがあるにはある。しかし、「人」のように顕著にその性質は認められない。いや、そもそも酒を酌み交わすとはそういうことではなかったか。ちょうど、この前の日記で、「水からの伝言」という本をとりあげました。これは、その時に参加した友人が参考までにとプレゼントしてくれたものです。水は言葉やその場の空気に敏感に反応して、その形状を千変万化させるというのです。で、あるならば、人の心のこもった「酒」はさらに、その人の心を鏡のように映すのではないか。

 戦国時代、武将たちは敵同士であれよく酒を酌み交わしたといいます。今でもその人の本心を探るのに、酒を利用することってありますよね。そのような結果であるのか、今まさに戦をしている相手同士が深い友情で結ばれることもあったとか。「一献刺す」というのは刀ではない、心と心のぶつかり合いであったのかもしれません。当時は、今よりも深い沈黙と闇が夜を占めていた。そこで、酌み交わされる酒の変化に人は全てを見ることができたのかもしれないなと思う。

 さて、ここにはひとつの大きな疑問が残る。その人に注いだ酒をその他の人が味見させてもらう場合、味に変化は現れないのか?そのことをどうやって証明するのか?各自のとっくりへ誰が酒を注ぐのか?そのことで味は変化するのではないか。ならば、この瓶詰めをしたのは誰なのか?それを探りに一度、酒蔵のある加西まで行ったことがあります。わかったことは、とても良い人たちが心を込めて作っているということだけです。(いつもお邪魔する度にへべれけになって帰ってくるのですが。)さて、だいたい、会はいつも、皆に同じような疑問がわきあがって、わんやわんや言い出した頃には、宴もたけなわ、誰が誰だか、酒の味もわからなくなり、会はお開きとなるのです。私はサイエンスとしてこの会に冷徹かつ真摯に取り組んできたわけですが、「観測のゆらぎ」の壁の前で分子生物学などが今まさに抱える問題にぶち当たり、現代科学の限界を感じた次第です。ひっく。お開きです。

satomune
by radiodays_coma13 | 2005-02-24 00:16 | 食べる事と飲む事
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