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言葉と文化
by radiodays_coma13
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あなたは今、何が食べたい?
 昨日の晩御飯のおかず思い出せますか?「脳を鍛える大人のDSトレーニング」みたいな質問ですが、僕は思い出せます。一週間前も、そのもっと前も。食べたご飯で、その時の気分や、状況も思い出せます。それくらい密接に食事と記憶は結びついている。僕の場合は、といった方がいいのかもしれない。そういう努力をしています。

 できるだけ、食べたいものを食べる。食欲がなくても、食欲のない今、なになら食べたいかというように考える。体が食べたがっているものを真剣に考える。そうすると、案外食べたいものってひとつやふたつでてくるものね。一人暮らしの頃、風邪で40度の熱を出しながらヒーフー言ってるとき、明日、バナナのパン粥を食べようと思うと、すごく元気が出た記憶があります。そういうのって、詳しくわからないけど、免疫にいいと思う。どういいのかわからないけど、つまり、心に効いてるんだね。

 例えば、海外に行った記憶は僕の場合、どこにいって何を見たかではなく、どこでなにを食べたかという記憶が基点になって、いろいろな思い出を引き出すことが出来る。旅行に限らず、よりその基点を鮮明にするために、旬のもの、地のもの、めずらしいものを食べるようにしている。そうすると、「あの時食べたあれ」というように、場所や季節がすらすら出てくる。昔、父には内緒で母と行った美味しい日本料理店で食べた鮎の甘露煮の味について、今でもよく覚えている。「そんなことよく覚えているね」と言われるのだけど、その記憶を基点にしてその時、母が僕にしたどうでもいい話や着ている服の色まで思い出せるのである。

 仕事してて、ご飯の準備って面倒くさくないですか?とよく言われるのですが、僕はこの「面倒くさい」というのが大嫌いだ。いや、怖い。面倒くさいというのはウイルスみたいなもので、一度使ってしまうと、いろんなものがひとつひとつ「面倒くさい」に汚染されてゆき、気がつくと、本当にいろんなことが面倒くさくなってくる。しまいには生きていることが面倒くさくなってくる。「じゃあ、面倒くさくないものはなんなんだ!?」と言わなきゃならなくなる。人が面倒くさいといっている食事支度をすることが、僕にとって面倒くさいから生活を守る砦なのだ。これをしているうちは自分は大丈夫、と思える。

 食への執着というのではなく、人が美しいとか、楽しいとか感じるその基準にはおそらく「食」というものがあるはずだ。人にはいろいろ欲というものがあると思うけど、生物がまずはじめに死守するのは「食欲」であるはずだ。まるまると太った「大きな羊」を人が美しいと感じることから「美」という漢字が生まれたように、人間は美味しそうな食物に美を感じる。北大路魯山人ではないけれど、芸術と美食は無関係ではない。という理屈から僕は、食いしん坊じゃない、ものつくりは、良いものつくりじゃないと決め付けている。食わず嫌いをするアーティストに出会うと「この偽者が!」と心の中で罵倒しています。

 コンビニの弁当で日々をやり過ごしている、ものつくりにね良いモノが作れるわけがないでしょ。ねえ、そう思いませんか?ああ、そう、思わない。残念。でも、そういうアーティストに限って、観念的な作品を作るんですよね。芸術で腹はふくらませられないけれど、本当に腹が減っていて、本当に食べたいものを理解している人は、違うと思うんだよね。きっとそういうのを本当のハングリー精神というんだと思う。「強い想い」とか「願うこと」とか違うと思うんだよね。キッパリ言えば「飢え」なんだよね。飢えの前では、願いなんか消し飛んじゃうんだから。

 「飢え」ほど強いものはない。一度だけ、本物の飢えを経験したことがあるので、そう思う。その恐怖はことあるごとに脳裏によみがえり、その度に僕は、スイッチが入ったように「野生」に目覚める。その時の僕の精神状態は人間として果てしなく「穢く」そして「強い」。そう感じられる。もう一人の強靭な自分の生命。これさえあれば、僕は寿命がくるまでは生き続けられると信じている。そして、これが自分の内にある限り、僕は、ぐうたらのライオンのようなおだやかな気持ちでいられる。

c0045997_0203691.jpg今夜の晩御飯は
・姫竹の子とカシワの煮物
・ウドと梅のさっぱり煮
・アボガドと海老のサラダ
・帆立の酒蒸し

 もう春もおしまいなので、春を名残惜しむ食材を中心にしています。カシワの煮物の上に、摩りおろした、辛味大根が大正解でした。
姫竹は山に生えているクマ笹の竹の子です。もう旬を過ぎちゃいましたが、6月の頭くらいに買ったのを剥いて瓶詰めにしていたのを使いました。これね、皮が薄く、身に密着していて、剥くのが結構、面倒なんですけど、この間、大発見をしたんです。皮は右に剥いたら次は左、左の次が右の方向に、と順番に巻いているんです。その法則を利用して、回転させながら剥くとおもしいくらいにスルスルと向けちゃう。姫竹剥き選手権というのがあると、きっと僕はいい線いくんじゃないかな。商品の姫竹を抱えて、姫竹の王冠をしている自分を想像すると、なんだか嬉しくって。
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by radiodays_coma13 | 2006-06-26 00:22 | 食べる事と飲む事
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