人気ブログランキング | 話題のタグを見る
「子供のためのコンテンツをつくること」          cooma.exblog.jp

言葉と文化
by radiodays_coma13
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ(その三)
 古事記の語り部であった稗田阿礼は、古事記編纂の後、どのような生涯を送ったのであろうか。文字にする事で、語る必要のなくなった彼は職にあぶれ上野駅でビッグイシューを持って立つことになったかもしれない。しかし、当時は文字に編纂したからと言って、文字を読める人は圧倒的に少なく、その事自体が特権的なものであった。あれいちゃんは、その後も多くの場所でひっぱりだこの大活躍だっただろう。しかし、これを現代に置き換えると、事情は酷いことになるだろう。ケロヨン洗面器の登場で、銭湯から桶が消え、職人が消えたように。あっというまに代替技術はそれまでの文化を根絶やしにする。

 「TVも携帯もPCもなくていいんです」という人が多い。なくて済むならそれが幸せだと。だが、40年前の人たちはTVを、夢をもって迎えた。きっと虹色の素晴らしい未来が来ると…。そんな素晴らしい未来は来なかったけれど、じゃあ、いりませんというのはどうか?その人たちは不安なのだ。「テクノロジーは人を幸せにするものではない。むしろ、我々の仕事を奪い、生活の本当の豊かさを奪うものだ」と。アーティストに限ってそんなことを言う。悲しい事です。不安を抱いている暇があるなら、より良い物を作ればいいのだ。より人にやさしいTVや携帯やPCを作ること。それがどんなものかを提示してくれるのがアーティストの仕事だと思っていた。ぶつぶつ言うアーティストはテクノロジーにより自分の仕事を奪われるという不安を抱いているだけなんだろう。そんな恐竜アーティストは絶滅すればいい。アーティストや詩人と自称する人こそ、最先端のテクノロジーを作る会社に就職すべきだ。そこで、時代遅れの人々がどのように生きてゆけるかを模索して欲しい。

 口承から識字、識字から次の言語文化へ、この流れは不可逆だ。同じように我々は文明を後ろに歩く事はできない。確かに、こんな現代に詩人として生きる道というのはなかなかあると思いにくい。詩人だけではなくファインアートだって難しい。しかし、だからこそ、この過酷な現代のサバンナで生きられる詩やアートの存在は美しい。そして、人間の意識が次のステージに移行する段階にあり、表現は根本的な変異にさらされるだろう。絵画は口承から識字への変更に伴い、無名性の壁画から、有名性の絵画へと移行した。そして、「映像言語」の登場。今、まさに、識字から「映像言語」への変化への真っ只中。一体、表現は、人の意識はどのような変化の渦中にあるのだろうか?

 なんだ、識字の次は「映像言語」?そんなのありきたりじゃん、とっくに世に映像は溢れありふれていて、そんな圧倒的な変化なんて、どこにあるんだよ、と思うかもしれない。しかし、それほどに、我々は無自覚のうちに映像に慣らされ、日々、確実な意識の変革の中に放り込まれている。だからこそ恐ろしいのだ。動いている電車の中は静かであるように、その揺らぎはおだやかである。自分が猛スピードで違う世界に連れて行かれていることに誰もそんなには自覚的になれない。自分を時代から相対的にみるというのはおそろしく困難な作業である。気が付いたときには、国境を越えて見たこともない風景が外に広がっている。

ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ(その三)_c0045997_2214519.jpg 緩やかで劇的な映像言語に向けた変化、それはまず数世紀前に訪れた。グーテンベルクの印刷技術である。言葉は声から文字に変換される事で肉体から切り離された。その文字は印刷技術により、今度は文字の持つオリジナルな肉体から解き放たれた。文字は文字自ら意味することの出来る記号となり同時偏在的に世界中に存在する事が可能になった。印刷技術の発達は文字だけではなく映像のオリジナリル概念を変えてしまう。絵画は写真に撮られ、美術館から開放され世界中で見ることができるようになった。雑誌のフォトグラフィはオリジナルよりも強い価値と意味合いを発する。

 そしてTVの登場。TVの発達は世界のニュースを同時に受信する事が可能にした。しかし、初期の識字がそうであったように映像情報を配信できるのは依然、特権的であることに代わりがなかった。我々はTVの情報を鵜呑みにするしかなかったのである。「そこで起こっていることは真実である」と。しかし、現実には映像は編集され、時間は切り刻まれ、意味は再構築される。文字よりも巨大な情報をより巧妙に。権力のコントローラーは彼らの手の中にある。口承文化では語り部が、村をおさめたように。識字文化では文字を読めるエリートたちに文字を読めない人々を支配したように。我々はいち早く、映像言語を学ばなければならない。今、現実では何が起こっているかを知るために。

 印刷技術以前、中世のヨーロッパにおいて、文字が読めると言うのはある種の人々の特権であった。彼らは教会に属していて、聖書の研究と聖書の知識の普及に努めた。彼らは一般市民に対し、聖書を声に翻訳する事が唯一許される存在であった。それゆえに、カソリック教会は絶対的な権力を誇示することができた。そして、文字を読める人々の中においても「黙読」の技術を持つものは高度の技能保持者として、周囲から尊敬を集めた。文字を声に翻訳するためのものではなく、純粋に意味として理解、解釈することは、文字を読めることとは全く別の意味を持っていた。それはつまり、自分だけの解釈がありえるということなのだ。それは教会にとっては脅威だった。各々がひとつの真実である聖書を勝手に解釈しては困るのだ。ちょうど、聖書の手書きによる複製本が出回る頃と同じくして、カソリック総本山による異端審問が盛んになってゆく。

 しかし、キリスト教に衝撃が走る出来事が起こる。15世紀、グーテンベルグによる印刷技術の誕生である。それにより最初に出版されたのが他でもない「聖書」であった。これにより、聖書は聖職者のものではなく一般に普及してゆく。このことが教会に隷属していた中世に終わりを告げ、人間の時代、つまりルネサンスの到来を招くこととなった。グーテンベルグ以降、カソリック教会はもう、絶対中心的な位置を保持することができなくなった。各地で、様々なキリスト教宗派が産まれ、独自の解釈を展開してゆくこととなる。この頃から、個の価値を謳歌するするように、様々な聖書以外の書物が出版されはじめる。価値は宗教の外にこぼれ出したのだ。このように映像言語のさきがけの技術である印刷は人々の価値観に大きなインパクトを与えた。これ以降、権力は教会ではなく、本そのもの識字そのもの中に書き写されてゆくことになる。

ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ(その三)_c0045997_22142034.jpg 口承文化における悪の存在はトリックスターという牧歌的な存在でしかない。それは善と悪という二極対立ではない。もっと曖昧で、動物的だ。欲求のままに行動し、時に欲さえも超える存在。物語の進行を破壊し、そこから新しい物語を産む存在として書かれる。それは例えば、不条理で豊かな自然の象徴であった。そして、識字が産んだ悪は「デビル」として登場し、小脇に契約書を持っている。つまり、価値が識字によって規定されていたことをそれは意味する。識字社会にとっての悪とは常に他者である。我々は自分達を苦しめるのは常に他者、例えば、社会、政治、資本であると信じてきた。自分の外にある悪を克服する戦い。そのために多くの政治的な戦いや革命が実行された。例えば戦後日本、学生たちは大学を悪として立ち上がった。思えば、それは大学という識字の象徴のような場で起こった最後の識字的な対立ではなかったか。

 しかし、今、その対立は形を変え、深刻な状況を見せ始めている。つまり映像文化な対立。よくTVアニメで、みかける描写がある。ある悩みに対して葛藤する主人公。すると、彼の両肩に主人公と同じ顔をした天使と悪魔が現れ、彼を説得する。実はこれが映像文化的な対立の型ではないかとわたしは思う。悪が他者ではなくなったのだ。トリックスターからデビル、そして、映像言語、そのミラージュの中に立っていたのは、自分自身の似姿であったというわけだ。我々はそれら悪と対峙する時、他者ではなく、自分の内に向かう。今までは社会に対して向けられていた不満が自分に向かう。そして、彼らは引きこもる。最近、多くの犯罪者がこういう言葉を言う「悪いとは思っていない」。これは道徳の破壊なんかではない。新しい悪の誕生なのだ。

 問題は、新しい悪の誕生ではない。それは識字から映像へと移行する段階で起こる必然なのだから。ニュースでは連日起こる道徳的に不可解な犯罪に対して紋切り型のコメントがなされる。「一体、悪いのは誰なんでしょうか?」そこで、教育や彼を育てた家庭に非難の目が向けられる。その事件を産んだ悪がどこか外にあると思いたいのだ。しかし、事態は単純ではない、昨日までは被害者だった善良であるはずの一般市民が次の日には不可解な事件の加害者に変身する。映像文化的犯罪を、識字的に語ろうとしても無駄である。その言葉はいつまで経っても事件の深層に触れることなどできない。表現者の急務はこの社会を語ることのできる新しい表現形式の獲得ではないか。そして、映像文化の中で耐えうる新しい道徳のモデルを示すことが何よりも待たれている。
by radiodays_coma13 | 2006-05-27 22:14 | 言葉について
<< 兵隊さんはかわいそうだね、トッ... 「男」の悲劇 >>