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言葉と文化
by radiodays_coma13
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バベルの崩壊にえんがちょをくらわす
 汚かったのかもしれん。会社で女の子に「えんがちょ」をされた。正確には「ぎっちょ」と言っていた。「それは違うでしょ、それは『ぐっち』だよ」と、隣の女の子が反論した。「いや違うよ『みっき』だよと僕は答えた。すると、そこをたまたま通りかかった上司が「バカヤロー!それはえんがちょだよ」大声でまくしたてた。「そうだよな!」と前に座っている社員Aに同意を求めると「そうですよ!」。そこに割って入った社員Bが「それは、めんちょです」。話がだんだん大事になってきた。上司は上司らしく、通りかかる人々に指を絡ませ「これ、なんてゆーんだよ!」とからんでいる。その多様性は年代なのか、地方性に因るものなのかが論争の中心になった。関東を中心に「えんがちょ」北に向かって「ぎっちょ」ではないか、という、「えんがちょ分布図」なるものが仮定された。しかし、何人に聞いても「みっき」に類似する言葉はでてこない。「みっき」だけは僕の勘違いというということで、その分布図からはずされてしまった。
バベルの崩壊にえんがちょをくらわす_c0045997_2347593.gif
 未練がましく関西出身の社員にきいてみると「えんがちょ」とのこと。活路は絶たれた。しかし、「昔はなんか言うとったような気がするなあ、でもTVはだいたい、えんがちょやろ、それでちゃうかなあ。もっといろいろあったような気がするよ」という興味深い話。色々な人に電話をかけて聞いてみた。すると名古屋では「めんちょ」福岡では「ぎっちょん」埼玉で「えんがちょん」、他にも「べべんちょ」「きっちょ」「ぐっちょん」が存在することが分かった。ここで、ひとつの共通点が明らかになる。どれも「cho(チョ)」の発音を持つということ。おそらく、なにかひとつのルーツからの派生だということが推測できる。しかし、ここにきても「ミッキ」だけはどこにも属してくれない…。

 私の憶測で話をさせてもらう。こういうのは得意だ。「えんがちょ」はつまり「縁がちょん」ではないのだろうか。糞などを踏んだ人に対して縁をちょんと切るという意。それを証拠に「えんがちょ」と言った後に両手で糸を伸ばす仕草をしてそれを切るアクションをすることがあるという証言を得た(「千と千尋の神隠し」で同じ行為を確認できる)。とすると、指二本を絡ませるあの独特の仕草は「ハサミ」を意味するのではないだろうか。大阪では指は絡ませずにちょうどチョキと同じ形を作るようだ。[cho]という言葉の響きだけが残り、バリエーションが派生してゆくという試論をひとまず立てることにした。

 ここで、「えんがちょ」の真意よりも興味深いのは、ひとつの意味をもつ、この言葉のバリエーションの豊富さ、多様性であるように思う。主にこのような現象は子供のコミュニティ文化の中に多く起こるような気がする。例えば「じゃんけん」。私が知っているだけでも「じゃんけんほい」の他に「でっちんほい」「いんじゃんほい」あと、「でっちこまにゅーどの屁の河童」という意味不明のものもある。それから「滅茶苦茶にすごい」の滅茶の部分の展開には驚くべきものがある。主に関西圏を例にとると、「むっさ」「めった」「げった」「がった」「ごっさ」「でっさ」「ぐった」「ぼっさ」「でら」「げら」「めら」「がら」「ごら」その上に「おに」をつけて更なる変化が現れる「おにむっさ」「おにでら」「おにーん」そして、もっと興味深いのが、この最上級をあらわす「滅茶」の使用により、その利用者の生活域を特定することができるということである。現に、私が小学生の頃「めちゃ」活用により、相手がどこの縄張りのものかを予測することができた。線路向こうの者なのか、川向こうのものなのか。

 それは驚くべきことに、丁目ごとの変化を見せている。つまり、方言はもっと大きなエリアでの変化を捉えた言語を表すが、それよりも狭い範囲、土地に根付いた存在としての子供において、前段階方言とでも言うような方言の元を作り出しているということである。ここには方言の捕らえ方を問い直すものがあると思う。交通が行われないゆえに発生する単なる地域差としてのネガティブな方言発生説ではなく、交通を活発化したゆえに起こるコミュニティ同士の軋轢により発生するというポジティブ発生説が考えられる。つまり、方言は自らがどこのコミュニティに属するかということを明らかにし、速やかな住み分けを行うための手形の役割をするのだ。

 そう考えると聖書における「バベル」説が崩れ去ることになる。人間が神に挑戦し、バベルの塔を建てようとした時、神が天罰として人々の言葉をバラバラにした。結果、人々はいがみ合うことになった。しかし、方言や、それをもっと大きなエリアで見たときの言語は、人がポジティブに作り出した、平和に住み分けるためのものということになる。TVやパソコンが文化の平板化、グローバル化を推し進めることで、一番最初に地域言葉を、そして地方言葉を破壊してゆく。その事は、言葉が生きてゆくための新鮮な流れを失うということでもある。動きを失くした言語は淀んで、終には死ぬ。現在でも世界中で7000の言語が死滅しようとしている。それはメディア文化と無関係ではない。子供の言葉遊びは、真に豊かな原始の言葉の海であるように思える。それが失われるのは人にとってどんなダメージを与えるのだろうか。言葉が腐るということは実際に起こりうるのだ。みっき、ばーりあ。べべんじょ、かんじょ、かぎしーめた!縁きーった。

「えんがちょ」あなたはなんて言いますか?
by radiodays_coma13 | 2005-03-16 23:50 | 言葉について
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