「子供のためのコンテンツをつくること」          cooma.exblog.jp

言葉と文化
by radiodays_coma13
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「日本のゲームはクソだ」-ゲーム開発者の想い
GDCで海外ゲーム開発者が「最近の日本のゲームはクソだ」と話す

そのニュースをみてからずっとその言葉が頭の中をリフレインしている。
ゲーム作りを生業をしている自分にとってはとてもショッキングなニュースだった。ただ、ショッキングというのではなく、それは明らかに画面の向こうから、自分自身にむかって投げつけられている言葉だった。質問を発した、ゲーム制作者は自分に置き換わりその会場での冷ややかな反応は突き刺さった。
そして、彼同様、嫌な汗が流れた。

本来は、こんなことを、当の日本のゲームを作っている自分が言うべきではないのかもしれないが、私はその言葉に「そう、そのとおりなのさ、日本のゲームはクソだよ」と自省からだけではなく、何度も心で返答している。
そして「いつのころからかね」と付け加える。

どうしてクソになったのか
いつのころからか・・・。それは、ちょうど、自分がゲームを生業にし始めた頃からだと思う。
ちょうど、モバイルでFLASHによる無料のゲームが遊べるようになり始めた頃ではなだろうか。FLASHによるミニゲームは今までのゲーム開発費とは比べ物にならないほど、安価で制作することができた。制作日数も、通常、個人ならば数ヶ月要するような作業が1からコーディングしても一週間程度で完成させることができた。そして、無料ゲームをうたったモバゲーやグリーの成功で既存の大手ゲーム会社も携帯のゲームに参入してくる。そうなると今まで莫大な費用をかけて制作してきたゲーム会社の仕事はなくなる。また、そのように手がけたアーケードゲームやパッケージゲームは廃れてゆく。作るとしても、安全策を狙い、今まで流行ったゲームの焼き直しをつくることになる。

結果的に、ゲームはクソになっていく。

ただ、それだけが理由ではないと思うが、それは複合的な理由のうちの大きなひとつではあると思う。そして、その自分自身が日本のゲームをクソ化させるその流れを加速させてきたことを確信している。モバイルでFLASHゲームができ始めた頃、当時最大となる500本のFLASHによるミニゲームの開発責任者となり、スタートしたばかりのモバゲーにゲームを提供し、その後も会社を変えながらも月辺り平均50本、多いときで100本程度のFLASHゲームの制作にかかわって来た。そして、一本のゲーム単価を3万円まで引き下げた。

当時、いくつかの大手や小さなゲーム制作会社の人たちに「勘弁してくださいよ」と言われた。直接、言われていないだけで、ほぼ、すべてのゲーム会社に働く人がゲームのそのような流れに対して、一度くらいは「勘弁してくれよ」と思ったに違いない。僕たちはイナゴのように日本のゲーム業界を荒らした。後にはぺんぺん草も生えない。そんなことも言われた。確実に日本のゲーム業界を弱体化させてしまった。私は確実にそのA級戦犯になるだろう。クソと言われた会場でひややかな観客の反応は、私自身に向けられるべきものだった。



ファミコン黄金時代
自分でもなぜゲーム業界にいるのか不思議でならない。私はまったくもって熱心なゲームプレイヤーではない。どちらかというと、ゲームをまったくやらない部類の人種になると思う。しかし、それはやらないだけで、ゲームを愛していた。小学校に入った頃から、画用紙にパズルを作り、友達に売りつけていた。パソコンが出始めた、5年生の頃から、自分でゲームをプログラムしてこれも友達に売りつけた。しかし、あまりにも早くゲームを作る喜びを知ってしまったためにゲームを遊ぶ喜びを知る前にそれが凌駕してしまった。私にとってゲームは遊ぶものではなく、作るものだった。

しかし、ちょうどファミコンが出始めた頃にはワクワクさせるようなゲームがたくさん出てきた。見ているだけで楽しかった。それで十分だった。それはとても刺激になった。それを越えるようなゲームを夢想するのが楽しかった。学校から帰ると、すぐにゲームセンターに走り、新しいゲームが出ていないか確認した。友達が新しいファミコンソフトを手に入れたと聞くと、駆けつけた。

しかし、いつしか、ゲームは大掛かりなものとなり、自分ひとりでは作れない、手の届かないものになっていった。ゲームシステム自体も似通ったようなものが増え始め、それとともにワクワクすることもなくなり、心がゲームから離れてしまった。

これは個人の考えでしかないが、思えばゲームのクソ化はここから始まっていたのかもしれない。



ミニゲームの逆襲
FLASHという開発ツールでゲームが簡単に作れることを知ったとき、私は飛びついた。まだ、試験的にFLASHを採用した携帯電話の情報を聞くと今までの仕事をキレイさっぱり辞め、その世界に飛び込んだ。携帯のスペック上、容量やロジックの制限もあり、できることはまだほんの簡単なことに過ぎなかった。いわゆるファミコン初期のゲームに近かった。そのことが私にはなにより魅力的だった。
「ミニゲームの逆襲」という言葉が常に頭の中にあった。
それがゲーム業界を席捲すると夢想した。
そして、それがその通りになった・・・。

荒らそうなんて思ってもみなかった。
今までの思いをぶちまけた。自分の中に秘めていたゲームアイデアを次々に再現した。その中のものは海外のゲーム会社に買ってもらったものもあったし、それなりに評価も得た。得たと思う。ミニゲームなりに、新しいゲームアイデアをこめた。でも、悲しいかな、ユーザーはそんなものを願っていなかった。売れるのは既存の売れ線ゲームだけだった。ユーザーやクライアントは実にあっさりと「FF」みたいなのがしたいと言ってのけた。誰もが知っているゲームがしたいんだと要求された。そこで考えたのがマシなゲームをひとつ取り上げ
ひとつのゲームシステムの見た目だけを変える「スキン替え」という手法だった。単なるワンボタンのタイミングゲームなら、半日あれば、まったく別のゲームを作ることができた。躊躇している間はなかった。他もどんどん値下げしてくる。何も考えずに量産を始めた。業界全体がそういう流れを作り出した。どこからも注文が殺到した・・・。

そして、唐突に「お前はクソだ」という言葉を浴びせられかけ、はっと我に返った。



クソゲームの山
気がつくと、クソゲームに囲まれ、その上に立っている自分がいた。ここから、ざっと辺りを見回して、決して豊かとは言いがたい現状の日本のゲーム文化の全体が見えている。制作者が言うべき言葉ではないが、すべてのユーザー、すべてのゲーム制作者にあやまりたい。

申し訳ありませんでしたと。

決して私だけの問題ではのは承知している。みんなクソゲームを作ろうとしているわけではない。がむしゃらなのだ。走り続けるしかなかった。しかし、思いは少しずつズレていき気がつくととんでもないところにいる。誰も日本のゲーム業界全体を見る余裕なんてなかったのかもしれない。しかし、「日本のゲームはクソだ」と言われたとき、はっと周りを見渡して、確かにそうだと感じてしまった。薄々は感じていた。でも、それを直視することで、仕事を続けることは難しい。見て見ぬフリをしていた。しかし、そう感じてしまったら、もう山を降りるしかないだろう・・・。そう感じながらもクソを作り続けるのなら、それは欺瞞でしかない。

すべてを否定するわけではない。しかし、多くの制作者、たとえばなんならかのライセンスを使ってどこかのゲームシステムをそのまま踏襲したようなゲームを制作している制作者はそのことを嘆いているはずだ。一体、全体のうちどれだけの人が、ゲームの文化全体のことに思いを馳せているだろう。



パンドラの箱、そして下山へ
ちょうど、グリーが釣りゲームの著作権についてモバゲーに訴えを起こした判決が出た。
グリーの勝利。
つまりゲームのシステムに著作権が認められた。これはゲーム制作者にとっては衝撃のニュースだったに違いない。今まで暗黙のルールだった、ゲームルールに著作権はないという点が覆ったのだ。それはほぼすべてのゲーム、すべてのシューティングがすべてのゴルフゲームが著作権違反になるというのに等しい判決なのだ。しかし、その暗黙の了解のおかげでゲームは発展してきた。グリーはパンドラの箱を開けてしまった。

僕は晴れて犯罪者になってしまった。
今まで無数のゲームシステムを盗用したかどで投獄されたりするだろうか。数で言えば、おそらく、日本一かもしれない。もし、そのことで、投獄されるのならば、おそらく日本にいるすべてのゲーム制作者が娑婆から消え去るだろう。それもいいかもしれない。

ここらで、みんなで山を降りませんか?
本当に実在しないデジタルのカードに何十万も使うゲームが
長い目で人を幸せにしてくれるでしょうか?

もう一度、ゲームの未来について立ち止まって考えるいい機会が来ているのだと思う。
ゲームが大好きでゲーム制作者になった人たちの中で何人の人がワクワクするような思いでゲームが作れているか問いたい。お金が儲かる側の人はワクワクしているかもしれないですね。でも、ユーザーを幸せにしているかもしれないという思いでワクワクできているでしょうか。

私は山を降ります。
もう一度、自分の山を登ります。
誰かをワクワクさせ、ちょっとだけ幸せにしてくれるゲームを作るために
自分の時間を使います。
すぐにこの山から下りるのは時間がかかるでしょう。
なにせ、結構登ってしまいましたから。
もう妥協はしません。私にはそんな時間も残されていません。

自分の子供にやらせたいと思うゲームをつくりたい。

今は強くそう思うだけです。
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by radiodays_coma13 | 2012-03-11 06:48 | 考える