「子供のためのコンテンツをつくること」          cooma.exblog.jp

言葉と文化
by radiodays_coma13
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
<   2009年 12月 ( 2 )   > この月の画像一覧
クリスマスの三角帽子
子供が二人とも風邪をひいてしまった。
下の子は初めての病ということもあり
それはそれは大変だった。
子供が二人いて、一人が風邪をひくというのは
そういうことなんだろうな。
誰か一人で食い止めることは至難の業。
というわけで、僕も伝染し、一週間がつぶれた。

子供が苦しそうに寝ているのをみていると
痛みを肩代わりしてあげることはできないと分かっていても
心は痛むわけで、不規則な呼吸に合わせていると
こちらまで眠れなくなり、寝不足からダウンしてしまった。

ようやく家族装置も復旧し
先の日曜日には家族らしくクリスマスツリーがお目見えした。
こんなにもクリスマスツリーが心温まるものだとは思いませんでした。
あれは自分が喜ぶものではなく、喜ぶ誰かの顔があって初めて
心躍るものなのですね。

クリスマスを経験したことのなかった私にとって
ツリーは陰惨な冬の夜の事件を連想させるだけのものでした。
おそらく、できないのなら、それを嫌おうという心理が働いていたのかもしれません。
「商売人にはサンタはこない!」と叱りつけられて師走の商売の手伝いをしている
子供にとって、クリスマスで賑わう商店街が忌まわしい景色でしかありませんでした。

ツリーにぶらさがる、サンタの虚構の笑い顔が憎たらしくて
友達の家のツリーのサンタの口に赤いマジックで血を描いたことがある。

母曰く、商売人のサンタは2ヶ月遅れでやってくる。
商売が忙しいので気を利かしているのだそうだ。
サンタの正体は「えべっさん」であるという衝撃の事実。
・・・確かに、少し似ている。
子供心に納得した。
ツリーは笹に化けた。

しかし、その僕が今、サンタを待ちわびている。
子供に何をプレゼントしようかと考えるだけで心が浮き立つ。
サンタなんかいるわけないと豪語していた僕の心に
純粋に子供を喜ばせたいというサンタが住んでいる。

上の子はサンタクロースを「三角さん」と言う。
三角の帽子を被っているからだろう。
確かに「さんたくろーす」と「さんかくぼーし」は似ている。

クリスマスツリーに「いらっしゃい」と書いた
三角帽子を被ったえべっさんの絵を貼ってあげたら大喜びした。

小躍りしながらハッピーバースデーのメロディにのせて
「いってまーせー、じーじー」と勝手な歌詞で歌を歌ってくれた。

それから何枚も欲しい物の絵を描いて吊るしていたが
それは七夕だろう。

なんだか色々まざって良い感じになっている。

プレゼントは何にしようか。
あれもこれもと考えて
あまり甘やかすのもよくないのかと思い直したりしたが
やっぱり子供の喜ぶ顔がみたい。
甘やかすのと喜ばせるのとは似ているようで違う。
「甘やかす」のは、いろいろ考えるのが面倒くさいので
とりあえず、子供の要求を呑むこと。
「喜ばす」というのは能動的で、
自らも子供の感情に参加して喜びを教え
ひいては一緒に喜ぶことではないかと思う。
そして喜ばせることはどれだけしても
いいのではないかというのが
子供と関わりたくてしょうがない僕の出した答え。
というわけで、子供と一緒に楽しめるものばかりにした。
ばかりということは、まさにプレゼントがひとつではないということ。
自転車と、組み立てて飛ばせる飛行機と、手作りの絵本
ぶつぶつと自分で言い訳をしながら、思うさまプレゼントを用意した。

ちょっとした風邪で、気をつけさえすれば
子供を失うことなんてないのは分かっているが
子供が健康で笑っている姿をみると
もう、それだけで、うれしくてしかたなくなる。
それ以上はなにも望まないという気持ちになる。
そして失うわけではないのに、
今のうちにやってあげられることは
全部してあげたいと思うこの頃である。

今年の三角さんは12月にやってくる。
[PR]
by radiodays_coma13 | 2009-12-23 03:20 | ニュース
コピーとオリジナル
TVで歌番組を久しぶりに見てみた。
半分以上が過去の楽曲で驚いた。
最近、TVがひどいことになっているときいてたけど、なるほどね。
とてもこのままの状況で来年のTV業界があるとは思えない。

一方
わざわざ携帯のキャリアを
ドコモに変えてまで「BeeTV」をみているのだけれど
確かに面白い番組が多い。
ちゃんと作っているなと感じた。
でも、なんだかみているとしんどくなる。
なぜだか重たい感じがする。

あのTVの「なんとなくみている感じ」
というのができない。

同じお金を払ってみているのでもNHKとは大きく違う。

会員数が増えてやっと成り立つ
BEETVのビジネスモデルは果たして
続けていけるのだろうか。
これもこれで来年が心配。

ネットができてから、人のTVの見方
娯楽の楽しみ方が変ったのかもしれないけれど
一方で膨大に蓄積された過去のコンテンツという問題がある。
クリエイティブな世界は
今後ますます過去のコンテンツとの
戦いにさらされる。

例えば、ゲーム業界も
いろいろなゲームがやりつくされた感がある。

僕は職業ゲームクリエイターのくせに
ゲーム嫌いなので、ゲームのことをろくに知らない。
そのせいでゲーム企画をするたびに
「ああ、もう、それあります」と
冷たく言われてしまう。

しかし、ゲームなんて、大きく分類してしまえば
そんなに種類はない。
確かにやりつくされたかもしれないが
それはカテゴライズして考える、
またはカテゴライズされた頭がそう思わせるだけで
本当はまだまだやるべきことがあるはずだと思われる。

初めて聴いた音楽に「ああ、それロックですね」と言ってしまうようなものだ。
「それ、あのバンドに似ていますよ」
それって悲しい考え方だけど
むしろ、社会が、我々をそんなふうにさせていると思う。
そのことで我々は多くのことを見落としてしまう。
しかし、作り手も自分自身をカテゴライズするために
型どおりのものしか作れない。

「シューティングゲームを作ろう」とか
「スーパマリオ」みたいなゲームを作ろうだとか
枠の中でしか創造することができなくなっている。

そんなことを昨日の歌番組に流れる、今年のヒット曲を聴いて思った。
これはないだろう!
それではまったくの焼き直しではないか。
過去コンテンツとの対決をあきらめ、
再提示にしかなっていない。

歌詞も悲惨なものだった。
ある形式化されたターゲットに
形式化された言葉を選んでいた。
そこで零れ落ちるものの大きさを考えるとせつない。
せめて、せめてリアルをみせてほしい。

しかし、ユーザーはそれらの楽曲に
「オリジナリティがないこと」を批判してしまう。
それはお門違いではないかしらん。
一体、オリジナリティーにどれほどの価値があるのだろう。
新しい絶望や新種の愛があるというのだろうか。

なにかが流行ったらみんなそこに乗っかる。
乗っかっているだけ。
自ら反省するところが多いが
それは理解する前に、消費してしまうような所業。
実る前に刈り取るようなことをしている。
みんなで芽を枯らしてしまうのだ。
本当は大切なつぼみが踏みにじられてしまう。

やりつくした感。
どこかでみた感じ。
みんなたいくつしている。
でも、欠落しているのはオリジナリティーではなく
リアリティーではないのかしら?

新しいものを作ろうとして
本当に革新的な新しいものができるようには思わない。
それはリアリティーの中からひょっこり産まれるように思う。
オリジナリティーを強要する現代は一方で創造力を締め付ける。
ほとんどのイメージは過去の蓄積というデータベースの中に存在する。
写真家は本当に全てのものを撮りつくしたのか?
歌手は全ての歌を歌いつくしたのか?

凡庸でいいじゃないか。
刺激を求めすぎる感性は
いつか刺激の中で麻痺してゆく
凡庸の中から面白さを引き出す
個人の力にこそ創造力が潜んでいるように
思えてならない。

加熱水蒸気式の電子レンジでは
作られる料理が限られてしまうが
火があればなんでもできる。
余計なことはしなくていいのだ。
包丁は変な形をしている必要はないし
ゲームは親切過ぎないでいい。
道具はシンプルな方が自由度が高い。
本当におせっかいなものが多い。
コンテンツも同様だと感じる。

新しいことをしなければ!
今までになかったものを産み出さなければ!
そんな焦りのせいで
電子レンジがしゃべり始め、おばあさんの
肩をもみはじめるかもしれない。
とにかく電子レンジは暖めればいいのだ。
どうか食べ物以外のものを暖めないでほしい。
ネコも荒んだ心も。
[PR]
by radiodays_coma13 | 2009-12-08 23:43 | 考える