「子供のためのコンテンツをつくること」          cooma.exblog.jp

言葉と文化
by radiodays_coma13
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
<   2006年 11月 ( 1 )   > この月の画像一覧
ゴールイン
3年がかりで手がけてきた企画がついに明日、ゴールインする。


ケータイのFLASHゲームサイトである。ゴールインとはすなわち、全てのキャリアでの公式サービスを開始するということ。難攻不落のDocomo公式サービスインをついに明日と控えた。



  思えば、何で僕がゲームを作っているのか?



それはソフトバンクの通話料が0円になるより
はるかに予想外だ。


小学生の頃
一日、50円のお小遣いで、1プレイ50円のインベーダーゲームをするか、よっちゃんイカを買うかで、ソクラテスのように頭を抱えて真実を追い求めていた。



えいやっ!とゲームに取り組んでも、下手くそな僕は一瞬で撃沈されるのであった。もっぱら、ゲームは見る方だった。それでも、毎日、新しいゲームが出ているかもしれないと思うと小学校の6時限目、胸が高鳴った。


日本の日常にTVや冷蔵庫が登場したころ、人が虹色の未来を夢見たように、TVゲームは僕を虹色の未来を見せてくれた。まだ、登場していないゲームのことを想像するだけで、眠られないくらいに興奮した。


「本当に新しいテクノロジーは人に夢を与えてくれる。」


おおっ、僕っていいこと言うねぇ。


僕はファミコンもどんなゲームソフトも買わなかった。正確には買ってもらえなかったんだけど。


  そのかわり僕はプレイヤーではなく
  クリエイターになった。


街に始めてマイコンショップがやって来た。

その頃PCは出始めだった。PC98富士通FM7、夢の機械。僕は毎日、黒人の少年がトランペットを欲しがるみたいに、マイコンショップのウインドウの前でへばりついていた。

 「その機械があれば、自分の作りたいゲームができる!」

胸がパンクしそうだった。



これを初恋というのかもしれない。
…いや間違ってるかもしれん。


結果的に親は根負けして、PCだけは僕に買い与えてくれた。僕は作りたいという強い願いだけを頼りにプログラムをいじくり、自作ゲームを作るようになった。今思うと、よく書けたなと感心する。


  …しかし、ある日を境にぱたりとゲーム制作を辞めた。


ゲームセンターに行って愕然としたのだ。ゲームが面白く感じられない。ワクワクしない。複雑で単調でどれも同じ。ある日、恋から醒めるようにパチンと何かがはじけた。



僕は情報処理の高校を受けようとしていたが、急遽、美術系の高校に進路を変えた。


その後、ゲームに全く興味を持つことなく、
20年。。。



なぜだか、今、ゲームを作っている。しかも、美術系の大学を出て、デザインの仕事をしていたのに。純粋にアートを目指していたのに。



何年もためてきたアイデアノートを見返してみると、その中に、少なくないゲームのアイデアが書いてある。僕にとって人を楽しませようとする原点にはいつもゲームがあった。



  今思う、あれは恋から醒めたんじゃなくて
  ゲームの方が本当につまらなくなっていたんだと。
  僕は間違っていなかった。



ひとつの場所から金脈が出ると、人はそこばかり掘り続ける。ゲームというのがひとつの世界だとすると、まだまだ世界は広い。なにもリアルでリッチなゲームだけがゲームではない。複雑になってゆくゲーム界の中に突如として「テトリス」が現れたように。世の中にはまだまだ楽しい遊びがあるんだと、そんなワクワクできるゲームがしたい。



複雑で、コアなユーザーしかできないゲームじゃなく、誰もが簡単にできて、ゲームの世界だけで完結しているのではなく、創造力が膨らみ、現実とリンクしているような作品。攻略するだけがゲームじゃない。10分だけ楽しめる「一粒のフリスク」みないなコンセプトだってあっていいはず。


ゲームプロデューサーとしての僕の評価は最低だった。ちょうどその頃、任天堂DSが満を持して登場。僕には女神が現れたような出来事だった。やろうとしていたことが時代とリンクしたのだ。手のひらを返したようにボツになっていたゲームが全て採用。自由にゲームを作ってよい権限が与えられた。


わがままほうだい(ウソ)。でも、ほぼ放し飼い。
僕は詩を愛しているので、自分の詩をゲームにもした。僕の作るゲームのほぼ5割以上が言葉に関するゲームである。

それくらい偏っている。
偏りまくっている。
こんなに偏っていいのかというくらいに偏っている。
でも、ゲームとはそんなものだ。価値観の交換対話なのだ。人の血が通ったプログラムなのである。ただ、閲覧するものではなく、ユーザーが参加してはじめて、成立する。僕にとってのゲームの魅力は
そこに始まりそこに尽きる。



ゲーム脳の恐怖とか、デジタル時代の病理とか、そんなことが言われ問題視されるが、僕はそのゲームこそが、デジタル時代の言葉のあり方とコミュニケーションという問題を打開する糸口になりえると信じている。


人は道具に魂を宿すといわれるように、デジタルにも人の温かみを持たせることができるはず。



  機械が人の心を荒ませるのではない。
  機械に人を感じようとしない心が荒んでいるのだ。



もしそこに人の心が足りなくなってきているのなら、それは恐ろしい。僕はゲームでコミュニケーションを求め、少しでも、そこに血を通わせることができればと思う。



さて、問題のサイトは「サクサクFLASH」です。
携帯でFLASHができる人で興味が出た人は探してみてください。
詳細はまた書きます。

[PR]
by radiodays_coma13 | 2006-11-19 23:54 | 言葉について