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言葉と文化
by radiodays_coma13
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カテゴリ:食べる事と飲む事( 37 )
失われた味
職場の近く、気に入っているカレー屋さんがあった。
どこででも食べられる味ではなかった。
おそらく、世界中さがしてもそこだけでしか食べられないだろうな
ということが一口食べれば
世界中のカレーを食べなくたって誰にでもわかる味だった。
とにかくそんな味のカレー
もし、そのご主人がどこかにいなくなれば
もう誰も二度と、そのレシピを復活させることはできないだろう。
永遠に失われた古代の謎のように。
・・・

そのカレー屋のご主人が亡くなられた。
とても唐突に。
カレーの下ごしらえをしている最中に。

いつものようにお店を訪ねると
花束がたくさん添えられていた。

その味は永遠に失われた。

シャッターの前に立ち、目をつぶりしばらく
口の中にそのカレーの味の幻影の糸を手繰りよせようとした。
無理だった。
結局、そのレシピは分からずじまいだった。

高村光太郎の「梅酒」という詩のことを思い出した。

死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒涛の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻きにする。
夜風も絶えた。

(『智恵子抄』より)

カレーのルーは残っていないのだろうか。
シャッターの中、お店の中、おなべの中
その縁にルーはこびりついてないのだろうか。
できれば、そのルーを舐め取りたいと思った。
しかし、もう誰もそのカレーを食べることはできない。
誰も。

味覚は切ない。
味覚の記憶は
味、嗅覚、触覚、視覚、聴覚と結びつき
とても強烈なものとなる。
僕の記憶力はすこぶる悪いが
味覚に紐付く記憶力だけは誰にも負けない自信がある。
いつ、誰と何を食べていたのか、
その時の、誰かの顔、誰かの声、自分の気持ち
揚げ物のコロモの詳細の状態まで鮮明に思い出すことができる。
それだけに、同じ味のものを食べると涙が出てしまうことがある。
その瞬間、僕はタイムスリップして、過去のその時に存在している。

とても寡黙な人だった。
一切の無駄口をきかなった。
「ありがとうございます」という言葉を
舌を使わずに、喉の奥で言っていたぐらいだ。
深い目をした人だった。
愛想というものはなく
その目で睨まれると
誰もうつむいてしまうほどだった。
でも、いつもお客でいっぱいだった。
みんな静かに、カレーを味わっていた。
みんな喉の奥で「おいしいです」と言っていたんだろう。

料理人はうらやましい。
こんなときに不謹慎だけれど、そう思った。
誰もその味を忘れることはない。
もう誰も二度と味あわせてくれないその味は
唯一無二でその人の記憶に残る。

まったくなにをしてくれるんだ。
僕はそういうのはいやんだな。
だから、レシピが知りたかったんだ。

そんなに悲しいことはない。
僕は母の手料理のレシピをちゃんと自分のものにした。
カス汁も、肉じゃがも、うどん焼きも、梅干も、たまり醤油も
食べれば、そこに全てがよみがえるように。

自分ではそんなことを言っておきながら
僕は自分の子供たちに、毎日おいしい
きちんと調理した当たり前のものを食べさせて
子供たちの記憶の中に強烈に残りたい。
レシピもなにも教えてやるもんか。
死んでもらったら困ると思われていたい。

料理はいつか人の記憶を覚醒させる。
10年後、20年後
ふと、いつかの味によく似た味と出会う。
もしくは、同じ食べ物を食べ、思い出す。
ガツンと頭を殴打されたように
記憶がフラッシュバックする。
そんな風にして、何年後か
僕はこの土地のことを忘れても
そのカレーの味のこと、
その時のご主人の表情まで
思い出すのだろう。

たった数回しか行くことができなかったのだけれど。。。

いつか僕の子供たちが僕のもとを離れていき
親の顔も思い出さないような日々が続いても
日々のしめやかな食卓の記憶の蓄積さえあれば
僕は子供の中に息づくことができる。
そう思う。

そして、その記憶の中で、声はなくとも
それをほどこしてくれた人の
気持ちを味わい知ることができるのだもの。
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by radiodays_coma13 | 2010-04-09 01:12 | 食べる事と飲む事
オーシャンズのこと
お魚さんが好きな子供のために、「オーシャンズ」を観に行った。

僕としては昔から好きだったセンダック原作の絵本「かいじゅうたちのいるところ」か
ルイス・キャロルのファンとして「アリス」を観たかったのだが、
怖いという理由で子供から却下された。

練馬サティは子供が多くて助かった。
館内は上映中ずっと子供たちの解説が響いていた。
うちの子供も負けじと
「シロナガスクジラはなんでオキアミを食べるの?」とか
「なんでジュゴンは白いの?」とか
答えられない質問を始終発信していた。
1時間経過、ポッポコーン(子供がこういう)のおかげか、珍しく機嫌よく鑑賞している。
と思ったのだけど、突然、暴力的に人間にヒレを切り刻まれたサメが
海に沈んでいくシーンに子供が立腹
外にでると言い出した。
説得を続けたが、じいさんの「なぜ、動物達は絶滅したんだろう」という
押し付けがましいお説教がはじまり
あえなく退場。

しかし、僕だって立腹している。
なぜ、サメを切り刻んでいたのはアジア人なんだ。
真実かもしれないが
「なぜ、動物達は絶滅したんだろう」という
流れで「絶滅させたのはこの人たち」みたいにみえるでしょう。
より多くの種を絶滅させてきたのは西洋文化に他ならないのに。

というか、何故、美しい自然描写にとどめなかったんだよぉ。
なんで、なにかいいたがるんだよぉ。

このところの捕鯨問題で僕は過敏になっているのかもしれないが
エコも宗教的な動物愛護も糞くらえだ。
なんというかアース的な何がしにはもう辟易している。
そういうものの全てが欺瞞に満ちている。
エコとかいい加減にしてくれまへんかねぇ
やってることが全然、エコじゃねえじゃん
なにがエコポイントだ、冷蔵庫もテレビも
でっかいのに買い換えさせてどこがエコなんだ?
その方がおいおいエコだっていっても
企業は新製品は出し続けるんでしょうがに。
政府が後押しすることじゃないでしょうよ。

なに政治もエコ効果に乗っかってるの?
確かに自然は大切だし、守っていかないといけないのは
子供を持つとしみじみ感じられるようになったけれども。
「温暖化」だってそれにまつわるの報道の
半分は欺瞞だってことは
冷静にネットで事実を集めれば誰だってわかる。
さすがにテレビではやらないけどねぇ。
温暖化を否定されて一番困るのは企業ですからねぇ。
「ゴミ分別」や「省エネ」も胡散臭い。
不安感を煽ることで得する人たちがいるということね。
宗教みたい。
やるべきこともあるのだろうが妄信するのが怖い。
事実を拾い集めて見えてくるものがある。
それは今更、ここで僕が言うようなことではないので
その件に関しては沈黙。

しかし、日本人は従順ですね。
エコエコ騒ぐ日本人をみて
海外との温度差に驚きました。
今はどうなんだろう?今はエコ流行してるかな?
メディアがあっち向けっていえばあっち向くし
こっち向けっていえばこっち。
僕が怖いのは「オーシャンズ」を観て
日本人が総意で「鯨殺しちゃダメ」ってなること。
でもね、殺してないの、食べてるの。
殺すのと食べるのは違うよ。
残さないで食べるなら命は頂いてもよいという理屈。
戦争もそうすればいいのに。(ジョーク)
サメのヒレだけを切り刻んで生きたまま捨てる映像は
とてもショッキングだったけど
日本人は鯨を残したりはしない。
サメだって、ちゃんとカマボコにしてる。

問題は、オーシャンズのスタッフが
あの問題のシーンを撮るのに
あそこに立ち会ったということ。
でも、あの漁のシーンは真実だろうか?
あのようなことが行われているのは確かだろう。
しかし、映画では、イルカも鯨も、網にかかった
生物は全部虐殺していた。
あれは演出として作れれらたシーンではないだろうか。
そこが問題。
あの映画のスタッフはあれらのいきものたちを殺したのと同義でしょ?
とにかく、あのシーンは悪意をもって創られたといいたい。
心地よい映像のあとに、胸糞悪い暴力をみせたかったのだ。
あの映画はそういう映画だったのだ。
観た人になにかひとつの答えを植え付けたかった。
ただ、それだけのこと。


僕にとっての最大悪は殺すことではなくて
残すこと。
そう、偏っている。
食べ物で遊ぶことが一番嫌い。
子供を滅多に叱らないけど
食事中にふざけているとひっぱたく。
遊び食べは許さない。
真剣に命がけで食べない奴は許さない。
「食べないと食べられる」これが真実。
それが弱肉強食の意味でしょ?違う?

その中で滅びるものは滅びたらいい。
滅びるものを必要以上に守ることなんかない。
人が種を絶滅させるだけではなく種は滅びる。
それは仕方ない。

自分が食べる以上に囲い込むから歪みや破壊が起きているだけなのにね。
良し悪しは別として、それはとてもシンプルなこと。
それを推し進める企業だの政治がエコを本当の意味を歪めて悪用するのが許せない。
エコの本当の意味は、日本の「もったいない」が一番近い。

まだ、使える電化製品、買い換えるのはモッタイナイですよ。

食べられるサメをヒレ以外すてるのは
もったいない!
あのスタッフ、殺した生物全部食べたんだろうなぁ~(怒)

以上、オーシャンズの感想でした!
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by radiodays_coma13 | 2010-01-25 05:59 | 食べる事と飲む事
シュールストロミング解禁
シュールストロミングが解禁になったというので
友人にお願いして、取り寄せてもらいました。
c0045997_1221832.jpg


シュールストロミングはスウェーデンの発酵食品です。
バラエティ番組などで一度は目にしたことがあるのではないかと思うのですが
北欧が生んだ世界一臭いと誉れ高き発酵食品。

一口に言えば「発酵ニシン缶詰」なのですが
発酵か腐敗かは人間の判断によるもので
何が発酵か腐敗かと言われれば
人間に害をなすものが腐敗
益なものが発酵というわけですが
その価値判断も曖昧なもので
簡単に言えば、シュールストロミングの場合は
多くの人が腐敗と断言してはばからないシロモノ。

中には「絶対嫌気性好塩性微生物」が住んでいて
こいつが密閉された缶の中で塩辛いニシンをエサにして
ガスを吐き出し缶詰をパンパンに膨らまします。

そういうわけで缶きりで穴を開けますとお汁がブシュと噴出して
あたり一面に純粋に魚の腐った匂いが充満します。
苦手な人はこの時点で鼻を押さえ
ある人は吐き気を催して退散します。
中は、まだ発酵が進んでいるようで泡がぶくぶくと発しています。

そしてこのせいで日本での流通はおろか輸入が難しのです。
発酵が進むと缶が爆発する危険性があるというのです・・・。
輸入も船便に限るために、お値段は高めです。(5000円)

注意書きには

「におい」が強烈です。
河川敷、広い場所なので開封して下さい。
大勢の人のいるところでは絶対に開封しないで下さい。
化学兵器と誤解されて騒動になる恐れがあります。
必ず戸外の人のいないところで開缶してください。


と物騒なことが書いてあります。
僕は船底で爆発したシュールストロミングを想像してニヤニヤしてしまいますが、
そんな愉快な事件は起こったことないのでしょうか?

このシュールストロミング。
自分ひとりで食べるのはもったいないので会社で開封しました。
(思いっきり約束違反しました)
そんなことをしたら、数週間は匂いが取れないことは予想されるのですが
ちょうど会社のお引越し(ビルの取り壊し)があったので
この日を待ち続けていました。
「さよなら愛するオフィス」ということで、ぶちまけてきました。
引越し業者の人はびっくりするだろうな。
隣が消防署なので、変な騒ぎにならなければいいけれど。

前の会社ではドリアンを皆に試食させ、隣のオフィスの人が
ガス漏れが何かと勘違いして異臭騒ぎになったことがありました。
なにをしているのかというお叱りもあるかと思うのですが
食の冒険家としては、仲間がほしいのです。
つまりさびしいんです。
家では疎ましがられ、外で食べろと言われ
友達を誘っても断られ
残るは上司と部下という立場を悪用し
強制的に食べさせるしかないのです。
「こんな経験できないよ。まあ話の種に食べてみなさい」と。

まあ、今回も同じ手口です。
(タイミングよく社長がいなかったので
社長の机の上にあるプリントにお汁を塗っておきました。)

10名ほど試食したのですが
案のじょうというか、あまり評判はよくありませんでした。
せまいオフィスで缶詰を中心に大きな輪ができました。
しかし、それを美味しいと思う僕にとっては
香りもかぐわしいく食欲をそそるものに思われます。
匂いを受け付けない人にとっては単なる塩辛い食べ物なのかもしれませんが
人間の味覚には5つの要素しかないわけで
数万通りの香りを分別することができ嗅覚は味わいの大部分をしめるわけです。
つまり、シュールストロミングの複雑な美味しさを理解することができるのは
この匂いを愛した者にだけ許された特権なのです。

少し言い訳しますが
焼きソバが好きな人にとってはあの匂いがなんとも言えず食欲をそそるのですが
嫌いな人にとっては相当、強烈でNGな匂いなのだそうです。
シュールストレミングも同じだと言いたいのです。
業務も終了し、引越し準備完了後なので、そんなに罪はないでしょ?
言い訳ですけどね。


その味は言葉だけで説明してもネガティブなイメージが主流です。
匂いを例えるなら、ドブとか生ゴミという言葉が多用されますが
触感はナメクジで、味は塩のカタマリ。その後に口の中に
生ゴミを放りこまれたようだ、と言っている人がいました。
魚が嫌いな人にとってどの魚も同じように感じられるのと同様
嫌いな人に発酵と腐敗の線引きをするのは困難です。
発酵を愛する者にとっては発酵と腐敗の間には実にカラフルな
グラデーションが存在するのです。

時に腐敗すらも魅力的に感じられるようになれば一流です。
僕は腐ったホワイトソースを冷蔵庫に発見し
その匂いがあまりにも魅力的だったので
一口舐めてお腹を下したことがあります。

発酵食を愛する者にとって
腐敗や発酵をもたらす菌の仕業、
それらが作り出す無限の香りはマジックであり
世界に新しい色を発見するほど刺激的なのです。
それは単に腐敗、発酵と切り分けることができない
可能性を持っています。
そして、これまで我々の祖先は腐敗であろうが
発酵であろうが、冒険したはずなのです。
惨敗した人たちもいるだろう。
小さな成功を大きな成果に発展させた人たちもいる。
そして、我々の素晴らしい食文化は彼ら偉人たちの
上に築かれています。

熱くなっておりますが。
とにかく美味いのです。
神秘です。
それがもし美味いと感じたら、
それは代替のきかないなにかです。
ずっと匂いを嗅いでいたいです。

ただし、食べている間は。。。ね。
納豆でも、くさやでも
食欲を満たした後、翌日は
その匂いに鬱々をしますよね。。。
今、僕は爪の間に残る匂いに
オナニーをしすぎた後の後悔にも似た
憂鬱を感じています。


半分残ったので
タッパーに入れて自宅に持ち帰りました。
子供に食べさせるつもりです。
喜んでくれるでしょうか。
(くさやは好物です。)

それから、お汁を寒天のシャーレーに入れて
菌を培養して自前のデジタル顕微鏡で調べたいと思います。
(もし、いい状態で見れたら、子供も喜んでくれると思います)

「人間は、ほら、顕微鏡なんかない時代から
目ではみえないこんな小さな菌類も手懐けて、
美味しい食べ物をつくっているんだよ、かわいいだろ」

こんなふうに言ってあげられたらいいな。
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by radiodays_coma13 | 2009-11-28 01:22 | 食べる事と飲む事
臓物を喰らう
ホルモンが好きだ。

しかし、最近、ホルモンが流行っている。

ホルモンが嫌いだ。


何がホルモンだ!

僕は昔から臓物(ゾウモツ)とよんでいたぞ。

グッチ、アナスイ、ホルモン、ヒュンメル
B級ブランドみたいな名前にしたからといって
臓物がオシャレになるわけがない。

僕の住む池袋にも軒並みホルモン屋が増え続けている。
そこに殺到するのが若い女性客ばかりというのだから
首をかしげる

なにが「ホルモンヌ」だ。

30年以上「ホルメン」を自負する僕としては
由々しき事態だ。

だって、当時、誰も、僕のホルモン修行に
立ち会ってくれなかったではないか。

「キャー、気持ち悪い!」
臓物を食べる人間が汚らわしいみたいに
ホルモン好きのこの僕をさげすんだではないか。

今更になって、ホルモンが美容にいいからって
ホルモンを持ち上げないで欲しいね。

というか、僕の青春を返せ。
僕がもっと美しかった時代(あったのか?)に流行してくれたら
僕はモテモテだったに違いないのに。
「ホルモンが食べられる女子」という恋愛対象ももっと広がったのに。

「腸、一本下さい、それから子宮もね」
「君を残さず食べてあげるよ、脾臓まで」
自称、名ホルピニストのそんな勇ましい姿を見れば
誰だってカッコイイと言ってくれたはず。

臓物は哲学だ。
そんなチャラチャラ食べてくれては困る!
高き理想を目指すのだ。

コラーゲンたっぷりかもしれないが
プリン体だってたっぷりなのだぞ。
カロリーだっててんこ盛りだ。
次の日、確かに、お肌がプリプリになってるかもしれないが
いいか、あれはな、油だ。
お腹だってプリプリになるんだぞ
美容にはいいかもしれないが、ダイエットには不向きだ。
美容とダイエットは両立はしないのだ。

臓物は油と分泌物でぎっとぎとのぐっちゃぐちゃがうまいのだ。
そしたら、次の日は、てっかてっかで鼻の頭から油でまくりだ。
臓物のそのグロテスクさが、生命力を喚起する「うまさ」でもある。

実家のある神戸の長田には、昔、屠殺所があった。
何度か中を覗いたこともあったが、その光景が目に焼きついている。
そこの、ドブには血が垂れ流され、オレンジとも黒ともいい難いヘドロが
かさぶたのようにへばりつき、なんともいえない匂いを発する。
中をのぞくと、肉から湯気がもうもうと立ち込めていた。
そこでは一日、何十頭もの牛が頭を打ちぬかれ、
実にシステマティック殺されている。

身震いのする、そして
なぜか荘厳な気持ちになる光景だった。
それから、肉を食べるときは
ただ、美味しいものを食べるというよりは、覚悟というか
今回は食べる側であったことに安堵すると共に
自分が屠殺所の天井につるされていることを想像して
身の引き締まる思いがした。

そして、悲しいほどに美味かった。
それを目撃した以後の方がはるかに肉が美味かった。
そして、加工されて、死の匂いを消された肉だけではなく
死の匂いが消えていない、または消せない部位がうまかった。
唾液のししたっていた舌や、腹から引きづり出される腸や。

全部全部、食べたいと思った。
頭からかじりつきたいくらいにいとおしいと感じた。

だから清潔できれいきれいな美食は嫌いなんだ。
生きている側が生きていたものを食べるのだから
なにふり構わず残さず美味しく食べるのは責任でしょ。
血しぶきも飛んでこない場所で食べるなんて卑怯だわ。
僕なんか、浴びたいね。
これは趣味だけど・・・。

それにしてもホルモン、美味いよねぇ。
誰か、僕と食べに行かない?
女子限定で。
うるさいこと言わないから。
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by radiodays_coma13 | 2009-10-19 05:05 | 食べる事と飲む事
パクチー万歳!
このほど東京にパクチー専門店が登場したそうです。
これはうれしい。
(ニュース元「パクチーの愛好者が近年増加、東京には専門料理店」

パクチーをこよなく愛して30年。
当時はまだベトナム料理やタイ料理もめずらしく。専門店はなかなかなかった。地元、神戸の北野には様々な異国料理専門店や海外の食材を扱う店が多くあるが、僕はその外国の食材を扱う店ではじめてパクチーを買ってきた。ただ、食材としてパクチーを買ってきたのだ。調理の仕方も分からないのに。


カメムシの味がした。。。


世界は広いと思った。


ちょっぴり吐き気がした。



この感動こそが知らない食材を食べる醍醐味である。

その後、「フォー」というベトナム風うどんにこのパクチーを入れたものを食べた時はなんて活かした野菜なんだろうと思った。これに代わる野菜はありえない。まさにかけがえのない食材なのである。それだけで素晴らしい。オンリーワン

これをはじめて食べようと思った人は偉い。
いや、むしろパクチーでなくてもよかったのではないか。つまりまだ世の中には誰も食べようとも思わない草が存在していて、かけがえのない個性を秘めたまま眠っているかも知れない。パクチーはたまたま、強引な誰かによりその才能を発揮されただけなのだ。

「ニンニク」
だって日本の在来種が存在するがその可能性は薬草としての役割しかなく、とんでもなく臭い草という認識が一般的だった、それを発掘し、文化にした国があり、ニンニクは一躍スターになった。一旦、認知されるとその個性は魅力へと変貌する。


よくある話しですね。


僕も、まだ知られざる個性をもった草を探して幸せな文化との出会いをプロデュースしてみようかと目論んでみたり。。。
身近なところで「屁糞蔓(ヘクソカズラ)」なんてどうだろうか。食べれないんだろか。
可憐な花びらに似合わないあの香り。そのギャップが恥じらい文化日本にうってつけだったりしないかな。しないか。
屁糞うどん
屁糞あんかけ
屁糞トッピング


ごちそうさまです。。。


国ごとに野菜や魚でも本当にチャンネルを変えたように異なるが、食材の必然性は文化が支えているということなんでしょうね。こんなに近い韓国と日本でも並んでいる野菜や魚はまったく異なりますからね。日本にあるべき魚、あるべき野菜。そしてパクチーは日本で発掘されることはなかったでしょうね。

つまり「蓼食う虫も好き好き」ってやつですな。


パクチーを前にして自分の才能も本当にここが活かしどころかというのを考えさせられます。
自分のあるべきところにいけば、もっと評価されるってこともあるんですよね。
(なんで、僕のところに歌手のスカウトが来ないんだろか)

***

余談:
昔、彼女と中華街をデートして、パクチー嫌いな彼女の前でまちがってパクチーを食べてしまった。まあ、その後何事もなくいい雰囲気になり、おしゃれにキッス。までは良かったのですが、いきなり彼女に嗚咽されました。


余談でした。

おしまい。
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by radiodays_coma13 | 2008-03-03 23:08 | 食べる事と飲む事
最高のおむすび
僕も子を持つ親として、定説通り涙腺がゆるくなった


昔から涙腺がゆるかった方なので、ゆるゆるである。

でも、自負がある。
TVでやっている感動秘話感動巨編感動スペクタクルとか、感動なんとかと名のついたものでは泣かないというポリシーである。

世界が泣いても俺は泣かない。

それがリアルであれば泣きそうになることはあるが、ありがたいことに、ちょうど良いタイミングで感動的なBGMが流れてくれるので、心はカラカラに乾いてくれる。

   そういうわけでなんとか今まで泣かずに済んでいる。

チープな頭のTVマンの三文演出なんかで泣けるわけがない。なんてね。
おそらく、これは僕もものつくりの一員として作り手の視線で接しているからなのだと考えられる。どうしても製作現場の考えや裏側が見えてしまい
「ここは演出だな」とか
「ちょっとやりすぎだな」とか
心から楽しめないのだと思う。
悲しい職業病である。



これじゃあ、ゆるゆるどころか、氷のハートだと思われそうだが
僕にはスイッチオンで泣き出してしまう種類の映像がある。
それは「食べ物を食べている人の映像」です。
しかも、感動的でなくても、ただ、一生懸命食べている映像を見るだけでなぜか涙がこぼれてしまう。TV側もそんなことで泣かれるとは思っていないから、ヘタなBGMを入れないので思い存分泣くことができる。

よく隣にいる奥さんに、なんでここで泣くのかと不思議な顔をされる。

***

「食べ物」をテーマにした映像で僕がお勧めする映画は

■「カモメ食堂」この映画は全編ズルい。
特に主人公サチエがキッチンに立って調理する音。気持ちはぴしゃんとします。


■「千と千尋の物語」ハクが千尋におむすびを持ってきて食べさせるシーン。「ひとつぶひとつぶ願をかけて結んだ」というようなセリフがあったが、僕も千尋を同じ大粒の涙をこぼしました。


テレビでは
■「食彩の王国」これだけはみているという番組。食材に秘められた歴史やストーリーを聞くだけでジーンとします。晩御飯は確実にその食材になるという番組です。


あと今までにこんなにもTVで泣いたことがないというある番組のある一話があった。

■「田舎に泊まろう」という番組の
勝野洋さんだっけかな、その俳優さんが九州の田舎のおじいちゃんとおばあちゃんの二人暮しの家に泊めてもらうというもので、勝野さんはお礼に手打ちのお蕎麦を二人にごちそうするんですね。その時、おじいちゃんはもううれしくてうれしくて、「こんなにしてもらって、もうほんとうにありがたい」と言いながら、お蕎麦をすするんですね。もう、手をあわせて拝むように、大事そうにズルズルとね。おじいちゃんはあまりのうれしさに泣いているんですね。それでもズルズルとお蕎麦をすすって。


書いてて思い出し涙しました。
まあ、それだけなんですけどね・・・。
心が込められた食べ物ってなんでこんなに感動的なんでしょうね。

時に、作る側の気持ちと食べる側の気持ちがシンクロした時の感動と言ったら、どんな言葉にも代えがたいです。

ささやかだけど、強く確かな心の通い合いがそこには感じられる。


だから、外食をあまりしないのです。
外食でその心を感じられることはめずらしいです。でも、ちゃんとあります。そういうお店は美味しくて僕が泣いていると(よく泣きます)ちゃんと店のご主人も泣いています。
言葉は時に不毛ですが、こういった種類のコミュニケーションは時に言葉よりも心を溶かします。


うちの家庭の場合、ケンカすると、次の朝、こっそり早起きして僕が平凡で最高の朝ごはんをつくります。するとケンカはだいたいきれいさっぱり終わっています。

***

でね、ここまでは前置き。(ナガっ!)


最近、ついに極意を掴みました。
それはおむすびの極意です。
ある朝、ご飯を結んでいたら、頭に光が差しました。
なんといったらいいのかわからないんですが
今、結んでいるおむすびはおそらく最高のおむすびだろうという確信です。
直感なんですが、手の感じとかとか、匂いツヤそれらのバランスが僕が今までで食べた最高のおむすびに近いという確信。
それはもちろん、自分の母親が握ったおむすびです。
よく母がおむすびを握る手を眺めていましたが、ぴったりその音と自分の音が重なったのです。

で、海苔をあぶって巻いて、奥さんにできたてを手渡しました。
食べるまでドキドキして見つめていましたが、奥さんはパリリと一口ほおばり、じっとおむすびをみつめて、そのあとむしゃむしゃと無言で食べきり、最後にボソリと
「このおむすび美味しい」と言いました。
涙がでるほど嬉しかったです。


今は息子がそのおむすびを食べてくれます。
食欲がなくてもおむすびを結んであげると食べてくれます。


幸せです。
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by radiodays_coma13 | 2008-03-02 01:42 | 食べる事と飲む事
走る大臨月
妊婦というのは本当に大変です。


さあ、もういつ産んでも大丈夫ですよ、となったら、今までは大事大事に過ごしていたのが、今度は一日3時間の歩行と100回のヒンドゥースクワットが奨励されます。そりゃもう体育会系ですよ。10キログラムの重りを背負って、それをやることを想像しただけで、足がガクガクします。


これがまた、なかなか産まれなかったりすると、なんだか、もう過酷な部活の夏合宿みたいな様相を呈してきます。


というわけで、胎児が出産の準備のために下の方へ降りてくると、今まで圧迫されていた胃も開放され、日々の過酷なトレーニングにより、食欲が増幅します。


しかも、妊婦は妊娠初期から出産準備のために、かなり厳しい食事制限があり、それまでは、ご飯を大さじスプーン一杯なんて状態が続いていたものですから、貪欲さはピークに達しています。




前回も書いたように、大人遊びの仕納めと言うわけで、食べ道楽をしばらく続けました。トドメの昨夜は、寿司からナンジャタウン、餃子スタジアムで餃子食べ比べというフードファイター並みの無謀な食べ歩き


残業が長引いたため、二件回るには厳しい時間。「仕方ないわね」と諦めてくれるかと思いきや、寿司屋に入るやいなや、次々に注文なされまして、さあ食え、ほら食えとまくしたて、次なる餃子スタジアムに走る走る。臨月の猛ダッシュです。


池袋の雑踏の中をお腹を突き出して
「ほらどけどけどけ!」
走る妊婦の暴走に雑踏がざわざわとかき分けられてゆく。

いやあ、母は強し。ちょっと違うか…。




ううむ、今朝は胃がクタクタに疲れて、さすがに食欲がありませんでした。


一日も早く生まれてくることを祈ります。このままだと、赤ちゃんが生まれてくる頃には僕はぷりぷりに太って奥さんに食われてしまうかもしれません。


でもねえ、僕の息子はねえ、なかなか、お利巧というか、商売人なんですよお。出産が予定日より遅くなると、奥さんの産休手当てがそれだけ多くもらえるという仕掛け。それが一日10000円成り。


しかも、出産給付金という制度があるのですが、それが2006年10月から改正され、もらえる額が5万円アップするそうです。そうこの度の10月です。


この時を待っていたんだな。さすがナニワの商人の息子!将来が楽しみですなぁ。




今日、昼寝をしていると、子供が話しかけてくる夢を見ました。
「もう、産まれるよ、十分に楽しんだ?」だって。
ニコっと笑って頷くと、彼は僕の手をとって、さあ今度は僕と遊ぼうという足取りで、僕をどこかへ引っ張ってゆく。


目覚めると妻が
「さあ、夕食の買い物をしにいきましょう」
と手を引っ張っていました…。



今夜はなにかさっぱりとしたものにしようと思っていたのに、奥さんは一方的に「必殺!地獄のさんま飯」がいいと決めていた。いやはやまだ食欲満開のご様子。まいりました。


c0045997_0351491.jpgというわけで、今夜の夕食は
  ・必殺!地獄のさんま飯
  ・わかしの刺身
  ・なめこの味噌汁(赤)
  ・ダイコンと水菜のジャコサラダ
  ・ひねたくあん

です。


必殺!地獄のさんま飯はこの時期、オススメなので、是非!といいたいところですが、作る人は覚悟してください。まさに必殺であります。あまりの美味しさに満腹中枢を破壊され、苦しくなるまで食べ続けてしまうのは必至です。だから、地獄のさんま飯。


1.まず、刺身にできるほどの新鮮で脂ののった秋刀魚を三枚に卸し
2.小骨を取り除き、塩しておいておきます。
3.米は酒、醤油、昆布を入れてしばらく置いた後、炊き上げます。
4.炊き上がる直前に秋刀魚を放り込み、そのまましばらく蒸らします。
5.あとはそれを混ぜ合わせ身をほぐしたら茶碗によそいで、刻み海苔をかけて出来上がり。


秋刀魚の香り、醤油の香りが口いっぱいに広がり、あとから、米に染み込んだ秋刀魚特有の脂の旨みと、米と秋刀魚のほんのりとした甘みのタッグが襲ってきて、満腹感をリングから締め出します。その美味しさに目がグルグル回ります。ゆうに茶碗3杯分は平らげてしまいます。



「わかし」というのはハマチの若いのです。東京では、「わかし」というそうです。大阪では「いなだ」と言っていたような。「ワカシ」は「若し」かもしれんなぁ。


「わかし」あまり刺身では見かけませんが、まるまる一匹で買うと200円程度の、とても手ごろな値段で購入することができ、食べ応えも脂ののり具合も十分。



ああ、やっぱり、家飯がいいわぁ。


お父さんは準備万端。ぷくぷくに太って、土俵に上がって君を待っているのだよ。さあさ、ハッケヨイ!ノコッタ?

ノコラナカッタ。おひつは空っぽ。
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by radiodays_coma13 | 2006-10-01 00:42 | 食べる事と飲む事
相対論的B級グルメ
すごいことを思いついた。


いろんな美味しいものは世の中にあるが、高級だからと言ってその分だけ美味しいと言うわけではない。


やわらかくて恐ろしいくらい脂ののっている牛肉。よく高級焼肉店で食べさせてくれるが、何度食べてもあれはそんなに美味しいものじゃない。


好みというのもあるだろうけれど、肉の味という点では、同じ恐ろしさでも、オージービーフの恐ろしいくらい堅い肉の方が肉の味が濃くて、美味い。


B級グルメという言葉があるが、時にその美味しさはA級グルメを凌駕する。いや個人的には、いつだってB級グルメはA級グルメを凌駕している、と強く思う。


とにかくA級グルメは疲れる。奥さんがもうすぐ出産なので、今のうちに子供づれでは入れないようなお店に行っておこう、大人の遊びともしばしのお別れと、ここんとこトコトン、贅沢三昧をしてみた。



結果、ひどく疲れた。



残されたのは、無駄遣いに対する自責の念と、3キログラム増の贅肉のみ。。。


外食も続くと、一体、何が美味しいのか分からなくなってくる。ホアグラも150円の鮭の白子も同じだぜ。ホアグラの方が珍しいだけ。これほんと。


今日、同僚の食べているマックポテトの美味しさに衝撃を感じました。ちょっと舌が壊れたみたいです。



といういうわけでビバ!B級グルメ



よほど、自分の家で食べているご飯の方がおいしかった。ということに気付きました。



とくにね、ほら、もう、だいたい食べ終わったかな、もうちょっとだけお茶碗にご飯があるなという時、そこにお味噌汁をぶっ掛けてする
猫まんまの味。
これは最高。


そこに、器の底にさびしげに残された納豆なんてあれば、もう落涙モノ。そのしみじみとした味わいには日本人であることの喜びを全身全霊で感じてしまう次第です。


昔は
「コラ!行儀が悪い」
と、よく親から叱られました。でも、叱られながら、ちょっとした罪悪感をオカズにすする猫まんまもまた格別なものですね。



でね、
思いついたすごいことってのは、この猫まんまを商売にしたらどうかと。



其の名も
「猫飯屋」
日本初の猫まんま専門店。これぞ、日本発ファーストフード。でも、日本人の体に優しい食事体系。


「ファーストなのにスローフード」が売り。


時間のない日本人、あんまり小遣いを貰っていないデフレサラリーマン、どんぶり文化、早食い文化の日本人にはぴったりなはずです。


マスコットはもちろん、招き猫。
しゃもじも持った招き猫です。



TVコマーシャルのタレントはオダギリジョーでどうでしょうか。ボサボサ頭、ゆがんだネクタイ、ちょっとやさぐれたオダギリ君が飯粒を顎につけて


「親不孝してみませんか?」ってウインクするの。


ウインクはいらないか…。



どう?ダメ?



からっぽの丼の横にちゃんと出汁をとったお味噌汁と、真っ白なご飯。それに気の利いた一品。あと、ひねたタクアンなどのお漬物。重要なのはこのお漬物。


お漬物はご馳走です。それらをざっと空っぽの丼に流し込み、其の上に、ちょこんとタクアンをのせて、さあ、召し上がれ。



どう?ダメ?



しゃばしゃばっとものの3分で完食。お店の回転率も最高。うん、イケる。きっと儲かる。


それはさて置いて、ここ最近の一番オススメの猫まんまは
「豚カツ茶漬け」です。

①食べ残した豚カツ二切れ程をご飯の上にのせ、
②あらかじめ湯通ししたキャベツを醤油でさっと炒めたものも一緒にご飯に。
③その上から渋めに出した番茶を、ソソと注ぎ、
そこにごま油で炒った高菜漬けをのせて出来上がり。


ミスマッチなようでいてなにをなにを。
油でもたれかけたお口をお茶がスーっと洗ってくれ、なんとも気持ちの良い味わい。満たされかけた食欲が再燃するという仕掛け。


この料理、もとは新宿の「すずや」という食堂のまかない料理だったそうです。今ではその店一番の人気メニューになったということ。ここにも猫まんまの魔力が。


そんな話をしているうちにさっき晩御飯を食べ終わったはずなのに、お腹がなんとなくせつないです。



おそるべし猫まんま。
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by radiodays_coma13 | 2006-09-28 01:03 | 食べる事と飲む事
不味くなる星
「地球が一個の果物だったら、千年前と今とではきっと不味くなっている。地球もだいぶ時間がたって傷んでいる。その腐敗を推し進めているバイ菌が繁殖しているからね」


そんなふうに、おとつい、ヒッポリッタ星人が言ってました。


「日本も随分、不味くなった」とうちの母親が言う。


「昔のねぇ、トマトはねぇ、こんな味じゃなかった」

ああ、うちの母も相当、ボケがきてんなあ。


だいたいにして思い出の味というのは記憶の中で美化されてゆく傾向がある。歳をとったら誰も「あの時の〇〇は美味かったわいの~」と鼻水をすすりながら言うようになるのだ。そんなことを小さい頃から、散々うちの母から聞かされてきた。トマトもナスも、スイカもかぼちゃも、魚も肉も、なにもかも。


「ああ、ハイハイ、わかりましたよ」
ああ、ヤダヤダ。こんなふうになりたくない。美味しく食べりゃあいいじゃないか。何を食べても「あの時の味」を持ち出す母の鼻をいつか明かしてやろうと思ってました。


うちの母の父、つまり僕の祖父はかなりの美食家だったらしく、戦争当時、珍しかったチーズを、おにぎりを入れるバレンに入れて持って帰ってきたことがあったそうです。


…皆が寝静まった深夜、厠に行こうと、幼い母が居間を通りかかると、祖父がなにやら箸の先に白いものをつけて舐っていたのだそうです。祖父は母を見つけると、少し、不機嫌な顔をしつつ、母を招き寄せると、「いいか、みんなには内緒だぞ」と箸の先についたその食べ物を味見させてくれたそうです。それはそれは得も言われぬ美味だったそうです。


母は幾度となくそのチーズの話をしてくれた。
おかげで、僕はチーズへの憧れを抱くようになり、いつのまにか部類のチーズ好きとなった。いつか、母の食べたそのチーズを母にもう一度食べさせてやりたいと思った。しかし、本当に世界中のいろんなチーズを母に持参したが、どれひとつ首を縦にはふらなかった。

僕はこう思うようになった。
「そんなチーズは存在しない」
それは母の頭の中だけにしかないのだと。ただでさえ食物のない戦時中、そんな子供が真っ白でクリーミーで滋養にとんだ食べ物を食べたらさぞ美味かろう。そして、普段は厳しかった祖父がその時、自分だけに、内緒のチーズを舐めさせてくれたこと。これらが思い出の味を難攻不落のものにしているのだ。


そして、ある日のこと。
岡山で小さな個人牧場を経営している知人に、なんの気なく「母のチーズ」の話をしてみた。母はちょうど岡山倉敷出身だったからかもしれない。

そしたら、

「ああ、もしかしたら、それはあれのことかもしれないな、来月くらいにもう一度、ここに来てくれたら、分けてあげるから…」


もちろん、いきましたよ。それは牛が子供を産んだ直後に出る初乳を攪拌して作られた、チーズではなく、バターでした。指に付けて舐めた、それは甘く濃厚でいて、清涼感がある不思議な風味で、ホワイトチョコのような確かな歯ごたえがあるのに、まるでアイスクリームのように口の中でとろけました。僕は何かを直感しました。


僕は昔と同じように、バレンにそのチーズを入れ、母に渡しました。母は箸の先にそのバターをつけ口に入れました。それから、頷く代わりに、静かに涙を流しました。



昔の味は確かに存在したのです。



本当に、なにもかも不味くなってきている。全てが押しなべて不味くなってきているのに、僕ら現代人は気が付きようがない。だって、そもそも美味しいものの基準がなくなってきているんだもの。


要因はたくさんあるんだろう。
作り手の都合による大量生産、乱獲や汚染による環境問題、近代農業の技術的な問題。それらが複雑に絡み合ってとてもややこしい。今更、人の糞尿を使って堆肥農業に戻そうって言ったって、そりゃ難しい。だいたい、豊かな堆肥を作るのに、半年以上はかかるそうだ。化学肥料に頼る気持ちも分かる。


でも、10年後、自分の子供たちに、「昔のトマトは美味しかったよ」なんてことを言っていたくはない。でも、なんだか、未来は絶望的だ…。


先日、青山で、ある会社の社長さんとデ~トをした。その社長さんはプレゼントですといって僕に紙袋を渡した。さぞや高価なものだろうと思ったら、ただのピーナツバターだった。「けっ、しけてやがんの」と思って、家に帰ってテーブルの上に放置していたら…


「きゃ~、なに!?このピーナツバター!」と妻が言ういうので
「どうしたの、傷んでるの?」
「うううん、信じられないくらい美味しい!」


そのピーナツバターは本当にどうしたんだろうというくらいに美味しいピーナツバターでした。本当に純粋にまざりっけなしの新鮮でまともなピーナッツをきちんと、丁寧にすりつぶしただけのピーナッツバター。ただ、それだけ。


まだまだ、捨てたもんじゃない。
地球には美味しいもの、いや、違うね、まともな食べ物がまだまだある。まともは決して難しくない。ただ、面倒くさいだけなのだ。ゴージャスであるということではなくて、「まとも」ということがどんなに貴重なことか。信じられないくらいたくさんの偽モノのなかにある、まともな食べ物に出会ったときの、嬉しさはもう、なにものにも変えがたいものです。



10年後の地球にはまともな牛がいるだろうか?


ピッポリッタ星人がさっき
「もうだめ、コレ腐ってる」とナプキンを外しました。
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by radiodays_coma13 | 2006-09-13 00:10 | 食べる事と飲む事
はよ乳だせ
奥さんが、早くお乳をださないかなと心待ちにする今日この頃。奥さんのおっぱいが日に日に大きくなってくるのを目を細くして眺めている。


僕は決して巨乳フェチではない。おっぱいはどちらかというと、手の中に…エホン、そんなことはどうでもいいのです。


つまり、お乳が飲みたいのです!


これは僕の悲願なのです。それを聞いて


「実際、気持ち悪うて、飲めへんて」


と友人は言うのですが、僕に限ってそんなことはありません。なぜなら、これは語るも涙のお話。僕は人の乳を飲んだことがありません。僕は母乳に恵まれなかった可哀想なおじさんなのです。


人の子はお乳の中から免疫力や、抵抗力などいろいろと大切なものをもらっているらしいのですが、僕の母は僕を産んだときにお乳が出なかったのだそうです。


子供のときにお乳を飲めなかった子は虚弱体質になるそうですが、その通りです。僕は瀕死状態だったそうです。


30年前の当時、体の弱い子は里子に出すという風習が残っており、僕は実家から1000キロ以上離れた、南国奄美に住む、祖母の家に預けられました。でも、それが功を奏したのか、僕は元気になりました。


というわけで、僕は産まれてこの方、人乳を飲んだことがありません。幼い頃、これを聞かされた僕はお乳への飽くなき憧憬を抱くようになりました。好きな飲み物は牛乳。そして、すべての乳製品。


牛のピンク色のおっぱいをみるだけで、目の前がぼんやりします。しかし、それは性的欲求では決してなく、食欲の原型のようなもっとプリミティブななにかです。


中学になると、僕はお小遣いの全てをチーズに費やすようになります。冷蔵庫で腐ったホワイトソースを発見し、それが発するチーズ臭にクラクラし、ついつい舐めて、九死に一生なくらい下痢をしたり、そうした乳製品に対する異常な執着はそこから来ているのだと思います。


こうなると、もうそれを沈めるのは、人乳しかないと思うでしょう?僕もそう思うんです。でも、そんなチャンスはなかなかないものですね。人妻の授乳をノドを鳴らしてみているのは完全に変態なので、今まで、かなり気になりつつも控えてきました。


しかしチャンスです!今回ばかりは正真正銘のチャンスです。


たとえ右乳は100%赤ん坊のためのものだとしても、左乳、いや贅沢は言いません左乳の乳の50%いや、10%でもいい、それは僕のテリトリーだ。左乳の10%で僕の乳に狂った乳ライフは一区切りの終止符を打ち、新たな父ライフの幕開けとなる。


そんなことを妻に主張すると、頭をはたかれる。


先日、子供用の哺乳瓶が自宅に到着。さっそくそれに牛乳を入れて吸い付いてみました。チューチューチュー。


おそるべし赤子!!!


大人の僕が力いっぱい吸い付いてもやっとちょろちょろとミルクが出る程度。こんなん飲んでるのか!なんでも、母乳にはもうひとつの意味が。おっぱいからの授乳は赤ちゃんにとって全身運動。とくに顎を鍛えるのだそうです。


彼らの吸引力で吸い付かれたら、僕の乳からだっておっぱいが出るかも。(もちろん一度は吸わせてみるけどね)
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by radiodays_coma13 | 2006-08-07 02:52 | 食べる事と飲む事