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「日本のゲームはクソだ」-ゲーム開発者の想い
GDCで海外ゲーム開発者が「最近の日本のゲームはクソだ」と話す

そのニュースをみてからずっとその言葉が頭の中をリフレインしている。
ゲーム作りを生業をしている自分にとってはとてもショッキングなニュースだった。ただ、ショッキングというのではなく、それは明らかに画面の向こうから、自分自身にむかって投げつけられている言葉だった。質問を発した、ゲーム制作者は自分に置き換わりその会場での冷ややかな反応は突き刺さった。
そして、彼同様、嫌な汗が流れた。

本来は、こんなことを、当の日本のゲームを作っている自分が言うべきではないのかもしれないが、私はその言葉に「そう、そのとおりなのさ、日本のゲームはクソだよ」と自省からだけではなく、何度も心で返答している。
そして「いつのころからかね」と付け加える。

どうしてクソになったのか
いつのころからか・・・。それは、ちょうど、自分がゲームを生業にし始めた頃からだと思う。
ちょうど、モバイルでFLASHによる無料のゲームが遊べるようになり始めた頃ではなだろうか。FLASHによるミニゲームは今までのゲーム開発費とは比べ物にならないほど、安価で制作することができた。制作日数も、通常、個人ならば数ヶ月要するような作業が1からコーディングしても一週間程度で完成させることができた。そして、無料ゲームをうたったモバゲーやグリーの成功で既存の大手ゲーム会社も携帯のゲームに参入してくる。そうなると今まで莫大な費用をかけて制作してきたゲーム会社の仕事はなくなる。また、そのように手がけたアーケードゲームやパッケージゲームは廃れてゆく。作るとしても、安全策を狙い、今まで流行ったゲームの焼き直しをつくることになる。

結果的に、ゲームはクソになっていく。

ただ、それだけが理由ではないと思うが、それは複合的な理由のうちの大きなひとつではあると思う。そして、その自分自身が日本のゲームをクソ化させるその流れを加速させてきたことを確信している。モバイルでFLASHゲームができ始めた頃、当時最大となる500本のFLASHによるミニゲームの開発責任者となり、スタートしたばかりのモバゲーにゲームを提供し、その後も会社を変えながらも月辺り平均50本、多いときで100本程度のFLASHゲームの制作にかかわって来た。そして、一本のゲーム単価を3万円まで引き下げた。

当時、いくつかの大手や小さなゲーム制作会社の人たちに「勘弁してくださいよ」と言われた。直接、言われていないだけで、ほぼ、すべてのゲーム会社に働く人がゲームのそのような流れに対して、一度くらいは「勘弁してくれよ」と思ったに違いない。僕たちはイナゴのように日本のゲーム業界を荒らした。後にはぺんぺん草も生えない。そんなことも言われた。確実に日本のゲーム業界を弱体化させてしまった。私は確実にそのA級戦犯になるだろう。クソと言われた会場でひややかな観客の反応は、私自身に向けられるべきものだった。



ファミコン黄金時代
自分でもなぜゲーム業界にいるのか不思議でならない。私はまったくもって熱心なゲームプレイヤーではない。どちらかというと、ゲームをまったくやらない部類の人種になると思う。しかし、それはやらないだけで、ゲームを愛していた。小学校に入った頃から、画用紙にパズルを作り、友達に売りつけていた。パソコンが出始めた、5年生の頃から、自分でゲームをプログラムしてこれも友達に売りつけた。しかし、あまりにも早くゲームを作る喜びを知ってしまったためにゲームを遊ぶ喜びを知る前にそれが凌駕してしまった。私にとってゲームは遊ぶものではなく、作るものだった。

しかし、ちょうどファミコンが出始めた頃にはワクワクさせるようなゲームがたくさん出てきた。見ているだけで楽しかった。それで十分だった。それはとても刺激になった。それを越えるようなゲームを夢想するのが楽しかった。学校から帰ると、すぐにゲームセンターに走り、新しいゲームが出ていないか確認した。友達が新しいファミコンソフトを手に入れたと聞くと、駆けつけた。

しかし、いつしか、ゲームは大掛かりなものとなり、自分ひとりでは作れない、手の届かないものになっていった。ゲームシステム自体も似通ったようなものが増え始め、それとともにワクワクすることもなくなり、心がゲームから離れてしまった。

これは個人の考えでしかないが、思えばゲームのクソ化はここから始まっていたのかもしれない。



ミニゲームの逆襲
FLASHという開発ツールでゲームが簡単に作れることを知ったとき、私は飛びついた。まだ、試験的にFLASHを採用した携帯電話の情報を聞くと今までの仕事をキレイさっぱり辞め、その世界に飛び込んだ。携帯のスペック上、容量やロジックの制限もあり、できることはまだほんの簡単なことに過ぎなかった。いわゆるファミコン初期のゲームに近かった。そのことが私にはなにより魅力的だった。
「ミニゲームの逆襲」という言葉が常に頭の中にあった。
それがゲーム業界を席捲すると夢想した。
そして、それがその通りになった・・・。

荒らそうなんて思ってもみなかった。
今までの思いをぶちまけた。自分の中に秘めていたゲームアイデアを次々に再現した。その中のものは海外のゲーム会社に買ってもらったものもあったし、それなりに評価も得た。得たと思う。ミニゲームなりに、新しいゲームアイデアをこめた。でも、悲しいかな、ユーザーはそんなものを願っていなかった。売れるのは既存の売れ線ゲームだけだった。ユーザーやクライアントは実にあっさりと「FF」みたいなのがしたいと言ってのけた。誰もが知っているゲームがしたいんだと要求された。そこで考えたのがマシなゲームをひとつ取り上げ
ひとつのゲームシステムの見た目だけを変える「スキン替え」という手法だった。単なるワンボタンのタイミングゲームなら、半日あれば、まったく別のゲームを作ることができた。躊躇している間はなかった。他もどんどん値下げしてくる。何も考えずに量産を始めた。業界全体がそういう流れを作り出した。どこからも注文が殺到した・・・。

そして、唐突に「お前はクソだ」という言葉を浴びせられかけ、はっと我に返った。



クソゲームの山
気がつくと、クソゲームに囲まれ、その上に立っている自分がいた。ここから、ざっと辺りを見回して、決して豊かとは言いがたい現状の日本のゲーム文化の全体が見えている。制作者が言うべき言葉ではないが、すべてのユーザー、すべてのゲーム制作者にあやまりたい。

申し訳ありませんでしたと。

決して私だけの問題ではのは承知している。みんなクソゲームを作ろうとしているわけではない。がむしゃらなのだ。走り続けるしかなかった。しかし、思いは少しずつズレていき気がつくととんでもないところにいる。誰も日本のゲーム業界全体を見る余裕なんてなかったのかもしれない。しかし、「日本のゲームはクソだ」と言われたとき、はっと周りを見渡して、確かにそうだと感じてしまった。薄々は感じていた。でも、それを直視することで、仕事を続けることは難しい。見て見ぬフリをしていた。しかし、そう感じてしまったら、もう山を降りるしかないだろう・・・。そう感じながらもクソを作り続けるのなら、それは欺瞞でしかない。

すべてを否定するわけではない。しかし、多くの制作者、たとえばなんならかのライセンスを使ってどこかのゲームシステムをそのまま踏襲したようなゲームを制作している制作者はそのことを嘆いているはずだ。一体、全体のうちどれだけの人が、ゲームの文化全体のことに思いを馳せているだろう。



パンドラの箱、そして下山へ
ちょうど、グリーが釣りゲームの著作権についてモバゲーに訴えを起こした判決が出た。
グリーの勝利。
つまりゲームのシステムに著作権が認められた。これはゲーム制作者にとっては衝撃のニュースだったに違いない。今まで暗黙のルールだった、ゲームルールに著作権はないという点が覆ったのだ。それはほぼすべてのゲーム、すべてのシューティングがすべてのゴルフゲームが著作権違反になるというのに等しい判決なのだ。しかし、その暗黙の了解のおかげでゲームは発展してきた。グリーはパンドラの箱を開けてしまった。

僕は晴れて犯罪者になってしまった。
今まで無数のゲームシステムを盗用したかどで投獄されたりするだろうか。数で言えば、おそらく、日本一かもしれない。もし、そのことで、投獄されるのならば、おそらく日本にいるすべてのゲーム制作者が娑婆から消え去るだろう。それもいいかもしれない。

ここらで、みんなで山を降りませんか?
本当に実在しないデジタルのカードに何十万も使うゲームが
長い目で人を幸せにしてくれるでしょうか?

もう一度、ゲームの未来について立ち止まって考えるいい機会が来ているのだと思う。
ゲームが大好きでゲーム制作者になった人たちの中で何人の人がワクワクするような思いでゲームが作れているか問いたい。お金が儲かる側の人はワクワクしているかもしれないですね。でも、ユーザーを幸せにしているかもしれないという思いでワクワクできているでしょうか。

私は山を降ります。
もう一度、自分の山を登ります。
誰かをワクワクさせ、ちょっとだけ幸せにしてくれるゲームを作るために
自分の時間を使います。
すぐにこの山から下りるのは時間がかかるでしょう。
なにせ、結構登ってしまいましたから。
もう妥協はしません。私にはそんな時間も残されていません。

自分の子供にやらせたいと思うゲームをつくりたい。

今は強くそう思うだけです。
# by radiodays_coma13 | 2012-03-11 06:48 | 考える | Trackback | Comments(0)
アーツカウンシルに期待すること
芸術家として食べていくにはどうしたらいいか?

そんなことに果敢に挑戦した事があった。
結果、食べていけるにはいけたが、それは憧れていた「芸術家」ではなかった。
パトロンと言える人からカンパしてもらう、或いは、人に教えて先生と言われる。
そしてもうひとつの道が、公や企業という団体からお金をもらうという方法。
そのために色々考え、色々顔を出し、色々活動しようとしたが、自分が自分が思った以上に、社交的ではないということに気がついてしまい、色々絶望し、さらに、ふと「何か」気がついて、パタと活動自体を休止した。
それは活動継続不可能な、根本的な理由だった。

その「何か」は「芸術家」であろうとしたことが嫌になったから。

なんだか、そもそも不純だったんですね…。
純粋なイメージの中の「芸術家」として生きていくのは難しかったということで…。
制度的にも。

東京に出てくる前に住んでいた大阪市で、橋下知事が当選し市長になった。
彼が文化に使われる財源を減らすという。
なんでも「アーツカウンシル」という制度を導入することを検討しているらしい。

とてもすばらしいと思った。

「そもそも芸術は、現代において、国や団体が庇護すべきなのか?」
国の助成を受けたロッカーの歌を人は聴きたいと思うか?
それはロックと言えるのか?
それと同じことを文化の助成に関して感じてしまう。

自分自身が無謀にも芸術で食べていくことを志し、そして、無謀にも散っていった仲間をたくさんみてきた。
もし、助成をもらえるというのなら、喜んで飛びついただろう。
そして、そのチャンスにあやかろうという沢山の仲間の奮闘も目にしてきた。
一度、手にしたその魔法を二度と手放すまいとジタバタする仲間も目撃した。
そして、その蜜にあやかれず嫉妬しスネる自分も目の当たりにした。

必ずしも「助成」が優れた文化を生み出すのではない。
むしろ、それはまったく関係ないと言っていい。
文化的なものは生まれるかもしれない。
しかし、それはその時代に根ざした本物のアートではない。
そこに出来上がるのはレクリエーションに過ぎない。
これはまったくの個人的見解であります。

アーツカウンシルとい評価の数値化により、どんどん文化に使う財源を減らせばよいのだと個人的には思っています。
もし、芸術が本物なら、このような危機に当選した橋下市長のように危機にこそ本当の文化が生まれてくるはずだから。
そう信じたい。

芸術や文化が単なる余暇をもてあました人間の作り出した退屈の産物にはして欲しくないなあと心から思います。


人間は先史時代、遊牧生活をしていた。
そこで、どういうわけか、唐突に温帯地域で定住生活が始まった。
唐突にというのは、農耕が先ではなく定住が先だからだ。
農耕の結果定住したのではない。定住生活により、人は暇を得ることができた。
人は危険に満ちた遊牧で研ぎ澄ました感覚をもてあますようになった。
定住が人にもたらした変化は大きい。ゴミ処理の問題や、排便。
これらは定住によりもたらされた大きな変化である。
その証拠に、幼児にはゴミや排便は通過儀礼のように、経験しなければならない大きな試練としてある。
つまり、ゴミ捨てや排便は後天的にもたらされた文明である証拠に他ならない。
そして、所有するという概念も貯蔵という形で定住によりもたらされた。
所有は経済を生んだ。
そして同時に、奪うという行為として、新しい諍いをもたらしただろう。
それは権力を生み、貧困を作り出した。
そして、ここで話題にする「暇」も定住生活によりもたらされたものだ。
人は「退屈」するようになった。

余暇による「退屈」は遊びを作り出し、文化を発展させる原動力となった。
かつて「余暇」は権力の象徴であった。
選ばれた者だけが余暇を得、それを誇示した。
そして、芸術は余暇の産物という意味でその象徴であった。
選ばれた者だけが芸術を所有することができ、それを見せびらかすことができたのだ。
そして、余暇を持つ選ばれた者に庇護され芸術家は生きてきた。
それがパトロン制度である。

現在は「暇」と言えば、あまり良い言葉ではない。
先進国の中流化が進み、芸術は一般大衆にまで降りてきた。
しかしだ、本当に芸術は一般大衆化したのだろうか。

落語に「茶の湯」という有名な噺がある。
大きな店のお隠居が暇をもてあまし、引越し先にたまたまあった茶道具で茶の湯を始める。
しかし、もともと茶の湯を知らないご隠居は知らないというのが恥ずかしいために、お茶さえ知らない状態で
めちゃくちゃな茶道をはじめる。
それに招かれた客も知らないというのが恥ずかしいために適当にあわせる。
そういう日々が続く。
しかし、その茶も茶菓子もデタラメでいただけるシロモノではない。
客人たちはたまらず、主人の見ていない隙に隣の畑に茶菓子を投げる。
すると農作業をしていた百姓が「また茶の湯か」とせせせら笑うというオチ。

多くの芸術と呼ばれ庇護されようとしているものには「茶の湯」を出ていないモノが多い。
そして、それをありがたがっているのは、知らないというのを恥ずかしがる客人と似ている。
しかし、大衆はその姿を揶揄して「また茶の湯か」と感じている。
本当に経済の危機に瀕した時に芸術にお金を使えるのか。
それは個人単位の話ではなく、企業や団体単位でも同じことで、かつでバブルの時期に企業メセナが流行ったが、崩壊後、それはごく小規模のものになった。
本系イギリスの「アーツカウンシル」も経済の悪化とともに、見直しを迫られている。
本当に、この日本でアーツカウンシルが有効に働くだろうか。

数値化をする専門家も固定化すればそこに既得権益がうまれ、今までとなんら変わらなくなるだろう。
いかに既得権益を生まないようにするか。
ヴェネチアがかつて行ったような、既得権益を産まない投票方式を採用するもよし。
そこにはまだまだ論議の余地がある。
国が文化を庇護することは決して悪くはないが、それを本当に評価するのは個人であり、それを芸術というのも、作り手ではなく鑑賞者の手にゆだねられているはずだから。

そして、暇を越えるものでない限り、それは茶の湯の域を超えないだろう。
パトロン制度から消費社会を経て、次なるモノツクリのあり方が問われている。
企業や公のくびきから芸術を解き放つものをいかに支援するか。
支援されたがるモノツクリと、現状の発露として出てきたモノツクリとは、結果も異なる。
人口=クリエイター的な現代で、見るに耐えるものがあるとすれば、本当に危機的な状況で大衆に支持されるものであるだろう。

なんにしろ、それは作り手の知ったこっちゃないはずなんです。
少なくとも作り手の側からクレクレすることじゃないだろうなと。

アーツカウンシルによって、公による文化支援が厳しく見直されることを期待してやまない。
# by radiodays_coma13 | 2012-01-09 07:55 | Trackback | Comments(2)
女性は本当にわからない
会話が流れ流れて、AVにおいて30歳以上は熟女モノのコーナーにあるんだよ、熟女といえばマニアックに該当するよね、というような話を妻に披露したら、突然、妻がキレた。

女性は本当にわからない。

それは社会一般の雑学みたいなもので、そこに個人的見地は一切、もう本当にビタ一文含まれていないにも関わらずだ。もう、ババアと言っただの、変態呼ばわりしただの大変な騒ぎ。正確にはババアとは言ってないし、むしろ変態なのは、その可能性が含まれるのは、その雑学を披露した私の方かもしれぬのに。

しかし、そこには正確さは求められていないようだった。言った言わないの水掛け論はここでは意味を成さない。それ以前にかけているのは水ではないからだ。そんな早朝に花に水をかけたかかけていないなんという、新婚夫婦の会話みたいに生易しいものではない。


野坂昭如先生が、能吉利人名義で作詞した「黒の舟歌」の歌詞にある
♪男と女の間には
深くて暗い川がある

の心境です。心の中で熱唱するくらいの気持ちです。
ブルースで歌ってしまいます。
心で泣いてました。
いつもいつも難破してばかりです。
そして、いつもいつも心に誓う。
「もう二度と船出すまい」と。

でも、それでも、また船出してしまうのです。
♪誰も渡れる川なれど
エンヤコラ今夜も船を出す

大熱唱です。
これには遺伝子の不思議を呪わないわけにはいかない。
たった1%以下の差がこんなに悲劇的な絶壁を作り出すとは。
一体そこにどんな膨大な情報が含まれているんでしょう。
男女の溝が何万年経っても埋められていない現在、
人の世の中がよくなっていくなんて迷信だと確信できる。

理屈ではないのです。理屈では…。理論的にはなにも通じないのです。
女性には理屈などどうでもいいのです。共感が大事。
そうだったそうだった、私がバカだった。
そこですかさず、30歳を熟女コーナーに置くなんて、世の中どうかしてるよ!
それを考えた責任者はド変態だったに違いないよ。
熟女が大好きで大好きで、少しでも自分の熟女時間を増やすために
熟女のハードルを大幅にダンピングしたに違いないよね
人格を疑うよね、
くらいのことが言えれば平和にコトは納まったのかもしれない。
後悔しています。
本当に後悔しています。

男に生まれたことを…。

男なら、不思議なことに誰しも若い女性が好みってなもんですよ。
それは浪漫なんです。登山家がチョモランマを目指すようなものです。
それは何故なんでしょうね、不思議を超えて不可思議です。
それは遺伝子的にうんたらかんたら言われれば理解はできます。
でも、もう人類も長いんだし、行き詰まりを感じているんだし
そろそろ進化してもいいのではないかと思うんです。

女性に、自らの変態っぷりを指摘され
もう本当に男ってワケがわからないという目で蔑まれる時の
悠久の寂しさよ。

遺伝子一個の変化がそんなにも大きなものなら
いっそ、遺伝子の解析を進めて、遺伝子をデザインしてはどうだろうと
危険なことを考えてしまいます。
道徳なんて、遺伝子の前では風前の灯と同じ。
人間というこのエッジの効いた存在を地球に適すように
リデザインすることもあながち間違えではないのではないかと思えてきます。
まずはその魁として、男女が嫌悪感なく愛し合えるようにすれば
もっと世界が平和になるのではないかと。
それはもう道徳云々では不可能なはずだ。

ああ、進化したい。
川から這い上がった魚もおんなじ気持ちだったかなぁ。
魚も辛かったんだねぇ。
住みづらい世の中だよねぇ。

う~ん、この湧き上がる怒りはなんだろう。
しからば、許すということが愛かもしれない。
この状況を受け入れるには宗教的な逃避しかないようにも思える。
謝罪するしかないのだろうか。
左の頬をぶたれて、右の頬を差し出すキリストの心情です。
あやまればいいんでしょ、あやまれば!
ダメだ、そんな気持ちならすぐに見破られる。
黙って俺についてこい!
ダメだ、殺される。
土下座…無理。
僕、本当は熟女マニアなんだ。
火に油だな…。

久しぶりに奥さんに手紙と花でも贈りますか。
# by radiodays_coma13 | 2012-01-05 07:31 | 考える | Trackback | Comments(3)
だんしがしんだ
談志が死んだ
だんしがしんだ

おかしな回文。
冗談みたいな本当の話。
ついに僕は立川談志師匠の高座を見るチャンスを失ってしまった。
もう少し早く落語に熱くなっていればよかったと悔やむばかりだ。

昔から、お笑いがたまらなく好きだった。
関西人だからというのではない
むしろ、関西人であったからこそ
天邪鬼ゆえにお笑いから距離を置いてしまったくらいだ。
小学生の頃はなんとなくお笑いを目指していた。
初めてコンビを組んだのが小学校4年生の頃。
同級生の山本くんと「日露戦争」というコンビ名で
ネタカセットを作り売りさばいた。
しかし、関西人という枠から超えることができず
目指すお笑いを関西であることが邪魔をし、スランプに陥る。
ついにはその実力を公にみせるチャンスもなく
失意の中で惜しまれながら解散してしまった。
奇しくも20年後、違う山本くんと
再度「RADIODAYS」という
お笑いまがいのパフォーマンスコンビを組んだが
夢いっぱいの上京直前
相方に逃げられてしまった。
まったくついてない。

こつこつと落語は見ていた。
特に桂枝雀師匠の落語が大好きだった。
落語の喜びを共有できる同世代の友人など存在しなかった。
その頃丁度、漫才ブーム。
「落語が好き」なんてあまり公言したくなかったのだ。
それに落語なんて伝統芸能みたいなもんだし、
いつでもみれるや、じいさんになってからでも遅くないと思ったのが
運の尽きだった。

気がつくと、小さん、志ん朝、枝雀が亡くなり、
米朝さん高座にあがらなくなり、名人といわれる人がいなくなっていた。
この歳になって、ようやく落語を共有できる友人と出会い
落語に改めてのめり込んだ。
が、しばし遅かった…。

もう観るチャンスの残されている名人は
柳家小三治師匠と立川談志師匠しかいなかった。

ここ最近、過去の名人から、存命の噺家さんの
録音を片っ端から聴いていった。寄席にも通った。
今はなき名人の人たちの録音はさすがに素晴らしかった。
三笑亭可楽、三遊亭円生、桂文楽はヘビーローテーション。
が、存命で枝雀師匠を生の高座で観たときと同様の衝撃を受けたのは
たった一人、高座で観た、柳家小三治師匠だけだった。

そして、立川談志師匠。
僕は、嫌いだった。TVに出る彼の傲慢で高慢ちきな
話し方がすこぶる嫌いだった。
チャンネルを変えるほど嫌いだった。
高座の録音も知ってはいたが避けていた。
見た感じが嫌なんだから、高座も嫌に違いないって。
それさえなかったなら…。今は悔やんでも悔やみきれない。
YOUTUBEで彼の高座の動画を発見したので、
怖いもの観たさ半分、いやなら、すぐ消せばいいやと思って観てみた
「芝浜」にただただ、度肝を抜かれた。
紛れもない名人だった。
型破りなのか自由なのか、今まで見たことがない落語だった。
神がかっていると感じた。
その瞬間「しまった!」と思った。激しい後悔。
とっさに彼の高座を探した。しかし、遅かった。

しかし、チャンスを待とうと思った。
もしかしたら、そんなチャンスがあるかもしれない…。
一度、根津のお祭り、確か昨年の10月だったと思う。
そこで、談志師匠を見かけた。
どこかの店先で色紙を描いていた。
釘付けになった。
僕が談志さんを生で見たのはついにこれが最後になってしまった。

僕が落語に感じていた息吹、なんというか落語が主題とする
日本人の原風景となった江戸や昭和初期の人々の生命感
それが僕にとって他のお笑いには変えがたい魅力であった。
そして日本人の土着的な笑いの本質。粋や息や色気を
プンプンを匂いたつくらいに感じられた。
落語を聴くと干物が食べたくなった。
落語を聴くとむしょうに酒が旨かった。
(子供の頃は酒は飲まなかったけど、お風呂で洗面器にお湯を入れ
落語家の真似をして、んぐんぐお湯を飲むフリをして
お燗はいいねぇ、喉のこの辺をキューと酒が通るのがわかるよ
五臓六腑に染み渡るとはこのことだね、とか一人悦にいっていた)

そんな息吹を感じられる噺家さんはもういなくなった。
なにかが終わった。失われたと言っても言い過ぎではないと感じる。
自分がある時代に取り残されてしまったという寂寞感。
もうあの息吹がないのなら、落語じゃなくてもいい、
新しいお笑いでも探そうかしらと自暴自棄になりそうになる。
しかし、まだ、たった一人、柳家小三冶師匠が生きていてくれる。
もう、拝むような気持ちだ。
あと、何回、師匠の高座を観れるだろう。
落語の最後のともし火を僕は自分に許される限り観ておこうと思う。
そして、自分の子供にも一度、みせてあげたい。
いつか、大人になって、
「僕はあの柳屋小三冶を生で観たことがある」というのを
きっと自慢できる日が来るはずだから。
それは日本人にとっての誇りになりえるはずだから…。

追伸
落語は死んだというような書き方になってしまいましたが
まだまだ、上手な人はいると思います。
談志師匠はみれませんでしたが、談志師匠のお弟子さんには
志の輔、志らく、談笑、本当にたくさん、素晴らしい落語家の方がおられます。
これはせめてもの置き土産というのか、僕はそこに談志師匠の息吹を
感じることができます。

本当の落語の息吹を感じさせてくれる落語家を、
金馬、柳橋、志ん生、円生、文楽とすると
志ん朝、談志、小三冶はその次の世代、そして、今の落語家はその孫の孫
コピーのコピーなのかもしれません。
先日、アニメ作家の押井守さんが、現在のアニメを
「コピーのコピーのコピー」と批判していました。
「表現といえない」とそういう言い方で言えば、我々の時代は
全てがコピーの時代と言えるだろう。
コピーのコピーのコピー、もうコピーでありすぎて、
元がなんだかわからなくなっている。
型だけが残る。それは落語しかり、歌舞伎しかり、
すべての文化がたどる道でもある。
今の時代に「その道をまっつぐ帰るってんで」なんて言っても白々しい。
リアルじゃない。
そして、デジタルが登場し、
もうリアルの意味もコピーの意味も変わってしまった。
でも、それでも、我々はそこに生きて、時には表現しないといけないのである。
息吹が感じられないと通ぶって、これからのものを門前で批判するのは
いただけない。第一、粋じゃないね。

押井守さんは現代のモノツクリ、例えばアニメ業界のあり方の難しさに対して
嘆いただけかもしれないが
残された僕らは憂慮するヒマなんてないのだと思う。
憂慮したら、もうそれはご隠居になってしまったということを
宣言しているようなものです。
落語界にもアニメ界にも、きっと次の世代が現れるに違いない。
それが今から、待ち遠しい。

立川談志さんのご冥福をお祈りします。
たくさん、楽しませていただいてありがとうございます。
あなたの「黄金餅」を聴いて、醜い人間の可笑しさ
それでも人間は美しいと思えることができました。
あなたの屍の中に黄金を見つけ出した心持です。
献杯!
# by radiodays_coma13 | 2011-11-25 01:28 | ニュース | Trackback | Comments(0)
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