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言葉と文化
by radiodays_coma13
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起きて夢をみる装置
 近頃、夢を見ない。ちょっと不安になって、調べてみた。全く夢を見ない人もいるという。色のない夢しか見ない人もいる。それから、匂いのする夢や、味のする夢。夢の中で作曲する音楽家もいる。僕も一度、夢で作曲して「これは傑作だ、天啓だ!」と目覚めて早々、その歌を録音してみたことがある。夕方になって聴き直したら、まったくデタラメな曲だった。どうやら夢はその人の能力以上のものは見せてくれないらしい。

 そもそも人はなぜ夢を見るのか?そんなこと知ったこちゃあない。みるからみるのだ。なんだか必要なんだろう。必要じゃない人はみないし、みる人はみる。それだけのことなんだけど、少なくとも僕にとっては必要なのだ。毎日、今日はどんな夢をみるのか楽しみにしているのに。あの夢の続きも見てみたいし…。

 人が夢をみるのは眠りの浅い状態のほんの短い間らしい。人は夢によって、混乱した情報を整理する役目があるという。つまり、「癒し」なんだね。僕が興味をひかれたのは「夢は物語仕立てになってない」ということ。はて、じゃあ僕が見ている一代物語絵巻は一体なんなのかしら?夢の物語を構成しているのは目覚めかけた脳の情報処理によるものだというのだ。つまり、夢は散らかった情報をひとつひとつ拾いあげて、片付けていく作業。そこにまったく意味は生じない。記憶は単に浮かんでは消えてゆく。その断片を物語に編集するのは個人の意識であるということ。夢を見るということは、ストーリーテーリングを自分でしているということなのだ。しかも、目覚めの段階で。その時、多くの情報が欠損するために、物語にならなかったり、ほとんどの内容を覚えていないということが起こる。

 そして、夢はその人にとって、重要なストーリー性を帯びるということ。つまり、自己治癒する力があるというのだ。TVなどが発達する以前、昔話や神話というのは今よりもダイナミックに、人の精神を成長させ癒す効果があった。人は神話という社会の物語により、自分を社会の一員として構成してゆく。しかし、現代には、そのような社会全体でみる夢のような物語は存在しない。ドラゴンは死んだ。物語には著作者が存在する。物語は個人のものになった。いやなってしまったというべきか。そのような物語は本当の意味で人を癒しはしない。現代は自分で自分のための物語を作らなければならない時代になってしまった。めんどくさいことである。自称クリエーターという人の多いのはそういうことなのかなん?規範なき時代。その時、夢はわたしたちを大きく助けてくれる。

 でも、僕は夢をみなくなった。困ったことだ。どういうことか詳しい人に尋ねてみた。「創作活動をしている人は夢をみなくなることが多々あるらしいよ」なに!?「創作するということは夢を見ることに近いんだと思うよ」なんだと。お前は起きていても寝ているようなもんだという言うことなのか!「大丈夫だよ、夢を見なくても死なないから」違うのよ!大丈夫かどうかじゃなくて、どうしたら夢を見られるようになるのか、それを聞きたいだけなのよ!

 …ということで、自分で起きたまま夢をみる装置を作ってみた。言葉と音がランダムに浮かび上がり消えてゆく。起きている自分はそこに意味を見つけ、ストーリーテーリングできるという簡単な装置を考えた。いろいろなバージョンの設計図を考えたが、作ってみて一番心地よいものに決めた。
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では、ご覧あれ。「KALEIDO SCOPE」

satomune
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by radiodays_coma13 | 2005-03-05 19:04 | くだらないこと
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