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言葉と文化
by radiodays_coma13
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ポジティブシンキングは素晴らしい?
「ポジティブシンキング」が素晴らしい
「ポジティブシンキング」で収入10倍
「ポジティブシンキング」で彼女にモテた
「ポジティブシンキング」で毛が生えた

というもっぱらな世の中ですが

わたしはあえて
「ネガティブシンキング」をおすすめします。
それをしたところで特に失敗したことはないし、
むしろ、いいことのほうが多いのでそう言っているのであります。
でも、これで収入が増えたり、彼女にモテたりすることはない。
だから安心してください。

「ネガティブ」といって暗いわけではない。
「ポジティブ」をただ明るいと思うのもまちがいな気がするが
「ポジティブシンキング」ってなんだか、明るいことだけと言っているように思う。
つまり、雨がまったく降らないというのと同義。それじゃいつかは干上がってしまう。

  「ネガティブシンキング」=暗いではなく、雨が時々降るということ。

なんだかね、世の中の一面がすごく暗くて、
「ネガティブ」という言葉がすごく嫌なイメージを背負わされていますね。

自殺とか殺人とか。。。


それはネガティブじゃない。
そういうの嫌い。
おそらくね、彼らにしたってポジティブに生きる努力をしたかもしれない。
でも、ガマンしてガマンして、ポキンといってしまう。
もしかしたら、彼らは物事の一面しかみれていないんじゃないかと思えて仕方ならない。
ポキンといってしまわないために時々、いい具合にネガティブな気分に浸るのは健康にいいと思う。

「雨に濡れながらブランコに乗る」とかね。
十分、絶望的な感じですけど。。。
でも、やってみるんです。
すると、すーっと自分の中にやさしい暗黒が入り込んでくる。
目や耳を塞いで拒否していた世の中の事象に対し、暗闇に目が慣れるように見えてくる。
「恐怖」が消えてゆくんですね。
するといろんなことがまんざらでもないように思えてくる。

黒澤明のね「生きる」にでてくるワンシーン。
雪が降る公園でブランコにのって
癌宣告され余命わずかの初老の男が
「♪命短し~恋せよ乙女~」って歌うシーンがあるんですが。

あれ、いいですよね。
あれです。
・・・違うかな

これはポジティブシンキングの人には味わえない感覚です。

***

昔ね、遠足なんかに行ってクタクタになるまで歩いてまだ歩かなきゃならないって時に
後ろ向きに歩いたりしませんでした?
そしたらなんか疲れないんですね。不思議に。
「うしろむきにまえにあるく」
というのが時々人には必要なんじゃないかと思ったりします。

日本にはネガティブな感情を美学までに高めたものがある。
「わび」「さび」「かれ」である。
鬱な感情に対してそこはかとない情感を感じるというセンス
素晴らしいですね。
そうするとことで感情のパレットに色数が増えてくるんですね。

本来、ポジティブ、ネガティブと分ける感覚も
西洋的な二極の考え方ですね。
キリスト教的というか、始まりがあって終わりがある。
正解があってまちがいがある。
光と影みたいなね、考えだと
強烈な躁は強烈な鬱を生み出す。

ポジティブシンキングな世の中が一方でうつ病の人々を大量生産している気がしてならない。
(一応警鐘のつもりです。)

でも、日本はね、「曇りの文化」なんです。
中間色というか、パステルトーン、そういう色味が非常に多い
ここまで微細な灰色の色名をたくさんもつ国は珍しいです。
利休鼠、納戸鼠、藍鼠、鳩羽鼠、根岸、滅紫、エトセトラ
ほんとうに美しい、色の表現があるんです。

日本の文化では善も悪もハッキリ分けないんですね。
その中間を尊ぶというか。

今は亡き偉大な心理学者河合隼雄さんが「中空構造日本の深層」という本を書いています。
日本は中間に大きな空洞を作り出す。その周りを善とか悪とかがあると、そんな構造です。そうだから、善と悪が時に入れ替わる。入れ替わりうる。こんなことは西洋ではありえない。
でも、日本は空洞があるためにそれが可能なのだと。


その例は枚挙に暇がないくらいある。
卑近な例から
・ゴジラ
・ドラゴンボールのピッコロ
・筋肉マンのバッファローマン
昔話なら
・鼠小僧
・石川五右衛門

この大元は
アマテラスオオミカミとスサノオの関係かもしれない。
でも、実はほとんど無名なのだけどこの二人の兄弟にはもう一人の兄弟が存在する。
「ツクヨミ」
三人兄弟のうちの一人、その他の二人については、もう様々な伝説があるのに
ツクヨミについてはほとんど語られない。
それは意図的に語られていないのだと、河合さんは言っている。
つまり、このツクヨミこそが中空の存在なのだと。
この中空を心の中に持つことで、柔軟な心をもつことができる。


そういうわけだ。

日本人ほど鬱気質な民族もない。

でも、日本人はそれを中空の精神を持つことで、心にゆとりを持ち、文化にまで仕上げた。

「最近の自殺増加傾向は無理な精神的西洋化の弊害ではないだろうか」と推理してみる。

「善は善だ!悪は悪だ!」という中で、割り切れない自分の心がある。無理に切り捨てた悪はやがて巨大になり、突然、心を突き破って飛び出してくる。そんなことだってある。

自分の心の中にある悪もやさしく包み込むことができれば、それは結果的に良く働くこともある。

悪い神のシンボル「スサノオ」が「アマテラス」の嫌がらせに、天空を舞いとび、「うんこ」を世界中にまきちらしたことがあるが、それが実りとなり、世界に五穀豊穣がもたらされたというエピソードがある。


ビビットな悪いニュースの多いこの頃であるが、
ビビットになるまえに多少の悪事を許す社会もまた必要な気がしてならない。

すねるとか、いじけるとか、かんしゃくをおこすとか、いじわるをするとか
おとなげないとか言っちゃダメです。
それに付き合ってくれる人が必要なんです。

例えば、僕は昨日、和菓子を食べにいったついでに護国寺におまいりしてきたのですが
他人の脱いだ靴を左右いれかえてきました。

そういう悪はゆるされるべきなのです!多分。

その人は、無理に間違えたまま靴を履こうとして、何度も首を傾げていました。
なかなか気付かないもんなんですねぇ。やっと左右逆と気付いたときにひらめいた!みたいな顔で嬉しそうに微笑んでいました。

なんだかいいことをしてしまいました・・・。

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by radiodays_coma13 | 2008-07-16 08:41 | 考える
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