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言葉と文化
by radiodays_coma13
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著作権の所在
yahoo!ニュース「しんちゃん中国で販売できず」というのを見た。


中国でも大人気の日本アニメ「クレヨンしんちゃん」 。なんでも、先に中国の業者が「クレヨンしんちゃん」のグッズ販売の商標を登録しており、本家、双葉社が中国でクレヨンしんちゃんのグッズを販売できない事態に陥っているらしい。


同じようなことが、韓国でもあった。機動戦士ガンダムを名乗る玩具が不法に販売されていたのを差し押さえるためにバンダイが韓国で裁判を起こしたところまさかの敗訴。


「ガンダムとはロボットの総称である」 (笑)


それから、すごい海賊DVDを見たことがある。非常に悪い画質。色がぬけている。風呂の中のような音質。よくみると、画面下に人の頭、頭、頭!なんとそれは映画館のスクリーンをそのままホームビデオで撮影しているのだ。

すげぇワイルド!


これ以外にもアジアでの、偽ブランド、海賊版DVD植物の遺伝子コピーなど著作や商標侵害をいちいち列挙していると21世紀が終わってしまう。


◆   ◆   ◆


それらの国を批判するつもりはない。もともとそういう文化なのだ。そういう行為に対して悪びれる様子は特にない。野球とボクシングの違いくらいに文化のルールが違う。自分達のルールでは公平なジャッジなど到底できない。


しかーし!自分もデザイナーの構成要素として、著作を生み出すものつくりの端くれとして、著作権にはいろいろと思うところがある。


古臭いじじぃみたいなことを言えば
  「最近の若いものつくりは
   著作権を知らなさ過ぎるんでぇ!」
と遠慮がちに思っている次第。


ものつくりとして社会的に公平で適正なものを提出するのは義務であると思っている。しかし、これって実はなかなか難しい。


ふとしたことで、著作権や商標を侵害していることがあり、不適正な表現であったりする。いくら気をつけても、気が付いたら白線を越えていることがあるのだ。


長い間ものつくりをしていると、その白線をたくさん越えてしまうことになる。時には、痛い目にあったりして…。というわけで気が付くと、僕は会社一著作権にうるさい男になってしまった。


中には僕を著作権協会の回し者のようにおそれる者もいる。
「あの人にこの商品の広告の話をしたら、潰されてしまう」
とまで…。


◆   ◆   ◆


ある雑誌で一年間、表紙を飾らせてもらった時のこと。

全国の書店に置いてあるもののかなりアングラな雑誌で、なにか、話題になることをしたかったというのもあった。僕は「著作権」をテーマにぎりぎりの綱渡りをすることにした。しかし、そこで、僕は著作権侵害を犯してしまった。


下がその時の、一連の表紙の一部。

さて、問題です。

Q:この中で著作権を侵害しているものがあります。
どれでしょう?
c0045997_235573.jpg


まっこうから著作権と向き合ったつもりでしたが、盲点がありました。写真に対して発生する二次著作権の問題でした。被写体に関しては完全無欠のつもりでいたのですが、その写真をとった人に二次著作があるとは知りませんでした。


危ないので答えは言いませんが、この中で、一枚だけ、僕が撮っていない写真があります。幸いにも、全ての写真が一部分であることで、誰が撮った写真であるかを判別することは困難です。


(ただ、もし、この写真は私が撮りました。という人がありましたら、僕まで連絡ください。それ相応の適正な謝礼はさせていただきます。)

・著作物はそれを使用してもただちに著作権侵害で罰せられるわけではありません。その侵害された当事者が訴えを起こす必要があります。

・その上で交渉し、侵害した側がそれに応じなければ、そこで始めて、法的な行使が出来るわけです。



◆   ◆   ◆


ものつくりは日々、著作物を世に送り出すのが仕事なので、その人が著作権に対してどう思うかは別として、きちんと知っておくべきだと僕は思うのです。


それを踏まえた上で発言させていただきます。
中国や韓国の例のように悪意ある著作権侵害に対しては、断固として意義を唱えますが、僕自身は実は、著作に対して
「非常に懐疑的」
であるということです。


最初の例を考えても分かるように、著作権は非常に曖昧で、各国で異なる法律をもち、法律があったとしても、日々変化し、それはデジタル時代の今日、輪郭がハッキリしません。著作をきちんとしたければ、膨大な資料から似た判例がないか、探すハメになります。それはまさにイタチごっこ。


それゆえに、企業は著作権に対して過剰になります。具体的な事例を出せば企業を敵に回すことになりそうなので避けますが、それらの著作のせいで、ものつくりにとって破滅的に不自由な環境が生まれるのも確かな話しです。


そこでは法律で謳われている「創作した人の知的財産を守る」ことではなく「企業の利益追求」が優先されている現実があります。

どこにでもある意匠やゲームのルールに著作権を与えるくせに、新しいパズルゲームのルールやある種のフォント、プログラムにはきちんとした著作権が付与できない。


  それはとうに個人の力の
  及ぶところではないのねん。


デジタル時代。
きっと近い未来、著作ということをもう一度、根底から考え直さなければならない時がやってくるはずです。そうしないと、全てのストーリーや全ての形、全てのメロディ、なにもかも著作権でがんじがらめになり、ものつくりはなにもできなくなるでしょう。


しかも、デジタルは完全なコピーを可能にしてしまった。


僕個人の意見。
「もし、真似たいのならマネればいい。」
それよりももっといいものを作ってくれるのなら、どうぞどうぞと言いたい。ゲームのプログラム等を作っていると、それが誰かに盗まれると気が気ではないが、よく考えれば、そんなものスキルのある人からしてみれば簡単にそれを凌駕できる作品ができるのだから。


ユーザーが欲しいのはより価値あるサービスなのだ
「著作権云々、そんなの知ったこちゃあない、そんなことより、さらにいいものを作れ!」
というのが本音だよね。


そして、これが僕の希望的観測。
モノそのものに価値があった時代には著作も有効だったが、そんな時代は終わった。これからはコミュニケーションにこそ価値がでる時代。その商品を取り巻く全ての条件が本当の価値なのだと誰もが理解できるようになると信じている。その時、コピーにはなんの意味もなくなる。


そして、一歩進んで、企業が作り出す価値というものもうそ臭くなるだろう。最終的には人と人との愛あるコミュニケーションだけが残る。


昔話に作家も著作権も存在しない、それは人と人との関係の中で再構築されるものだ。僕は僕の子供に僕と彼だけの「浦島太郎」を語ると思う。



一体、誰なんだ、みんなものもに自分の名前をつけるバカ者は。そして、それを奪い合うそれ以上のバカ者
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by radiodays_coma13 | 2006-10-02 02:37 | 考える
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