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言葉と文化
by radiodays_coma13
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「炎上」にみるネット的発言
ネットには「炎上」という言葉がある。僕は2ちゃんねらーでもないし、ネッター?でもないので、詳しくはないのだが、ある発言に対して、批判や反感が殺到する状態をいうのだと認識している。


「炎上」ときくと駆けつけないではおれない。昔から火事ときくと自転車漕いで駆けつける祭りと火事が好きな江戸っ子的野次馬である。(江戸っ子じゃないけどね)


アフリカのサバンナでライオンにやられているシマウマを他のシマウマが輪になって見物するそうだ。それはいつ自分も食べられる側になるかもしれない環境での、精神的な予行演習ともいえる。



「メメント・モリ」死を思え。




炎上するのは有名人とは限らない。
先日も(mixiだったとおもう。)ある疾患をもった人への誹謗を書いた一大学生の日記が炎上し、その関係機関を巻き込んだ大惨事に発展した。


僕は気弱だし、とくに政治的な主張も持ち得ないので、そういった炎上発言に対してどうこういうつもりはまったくない。ただ、その現象を生み出す、世間の目や常識というものに対してものすごく恐怖を感じている。


いつ、自分が餌食になるのだろう。。。


もしかしたら、一般常識を持ちえている人にとっては、そのルールはたやすいハードルなのかもしれぬ。しかし、僕にはよくわからない。まったくもって…。


阪神大震災の時のこと、僕は駅でパニックになる人々を目撃したことがある。動かない電車に向かって暴走する人と、駅の外に出ようとする人、そのエネルギーが狭い構内で激突して、パニックは起こった。僕は死を予感した。


ネットだけは異文化、多言語の多種多様な発言が許される場であると思っていた。また、それが、インターネットの有意義な面であると。しかし、実はインターネットは、人知を超えた、ひとつの大きな意思を作り出す環境でもあるのだ。


何百、何千の鳥や魚、蟻の群れがひとつの生命体のように見え、そのように振舞うことがある。しかし、人間は、各自に意識や思想を持ち、そんなことは起こりえないというイメージがある。しかし、それは単なるイメージだ。


様々な思想や文化があるようでも、人間が3名以上あつまると、そこには共鳴現象がおこる。簡単な例でいうと、1000人を超すようなイベントでも、ひとつの拍手は簡単に共鳴する。
問題なのは、共鳴しないでいることが難しいという点だ。


インターネットでも一見、自由な発言をしていると思っていても、自ら、多数の意見に共鳴してしまうということが起こる。そして、その巨大なエネルギーが誰かに向けられたとき、そこに暴力の起こりうる可能性がある。


僕はそれが自分に向けられることを恐怖する。おそらくおとなしく生きていれば、向けられることはないかもしれない。しかし、それは恐怖症なのだ。高所恐怖症や、先端恐怖症のような群集恐怖症。


悲しいことに、僕は人前に立つことがある。一対一では、元気に明るく、ハイテンションで接していても、5人を越えたあたりで、僕には彼らが個人ではなく、ひとつの生命体のように見えることがある。


もし、万が一、自分が誤った発言をするのではないかと思うと、もう、怖くて頭が真っ白になる。個々は親しい人々であっても、群れると、猛獣のように見えてくる。


皆は本当に怖くないのだろうか?
自分が間違った発言をしない自信があるのだろうか。僕にはちっともない。良識をもった人のように振舞う努力を日夜している。でも、きっと間違えている。間違えて舞台の上でギロチンにかけられる夢をみる。


だから、僕は道徳の勉強をおこたらない。それが僕がとても勤勉なことの理由。ギロチンにかけられちゃかなわない。


でも、ひとつだけ、わからないことがある。なぜ、どうして、僕はわざわざ舞台に立つのだろう…。僕は舞台に立った次の日、確実に熱を出す。二~三日は夢でうなされる。舞台に立った瞬間、恐怖にすくむ。僕はきっと、絶対に確実にマゾだ。



バカだろ、お前。



でも、そんな自分が愛おしい。高所恐怖症で、閉所恐怖症で、暗所恐怖症で、広場恐怖症で、先端恐怖症で、群集恐怖症な自分が。「よくぞ、自分!」といいたくなる。高いとこも狭いとこも、暗いとこも広いとこも尖ったものも、みんなのも前もものすごく怖いのにものすごく大好き。大好きなのに、怖い。



バカだろ、お前。


「間違えてみる」


僕の最も好きな行動です。間違えて落ちる。間違えて閉じ込められる。間違えて刺さる。間違えて炎上する。正しいことは確かにあるのかもしれない。でも、間違えてみる勇気と、心の余裕は失いたくないね。


僕が最も恐怖し、嫌うのは「正しさ」という暴力です。その力の前で人は全くの無力です。ただ、ひとつの正しさというのはひとつの群れに過ぎないのでしょう。それが一国単位にもなると簡単に戦争に発展したりする。


それが怖いのです。群れには間違えるバカも必要なんです。きっときっと。それが生命の多様性の意味だと一人納得しております。


「平気でうそをつく人たち」を著したM.Scott Peckは、群集の中に潜む本当の悪を解剖し、悪を科学しようとする勇気ある精神科医です。そして、最後に彼のメッセージです。


「自らの中にある正義の目は監獄に似ている。その暗闇の中でもっと邪悪なものが芽生える」

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by radiodays_coma13 | 2006-09-11 02:34 | 考える
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