サッカー負けちゃったね。自分のことじゃないのに、なんだかね、どんよりしちゃうね。スポーツなどを応援して、そのチームが勝利したとき、人を長生きさせるとても体にとても良いものが分泌されるらしいのですが、じゃあ、最初から弱いチームをひいきにしている人はどうなるんだ!と思ってしまう。関西人のわたくしとしては宿命的に阪神ファンなわけで、一昔前の阪神の脆弱さといったらそれはもう…、そんなことを考えると、それはとても体に悪かったのかしら。じゃあ、僕の寿命は10年ほど縮まってるはず。うぉー俺の10年を返せー!
でもまあ、だからこそ勝った時のストレス発散といったらないわけで。阪神が優勝したときは、わが町一帯がお祭り騒ぎでした。その頃、僕のある友人はカーネルサンダースと道頓堀にダイブし、もう一人の友人は車をひっくり返して、留置所の中にいました。でも、まあ、それはそれでひどく考え物ですなぁ。ストレス発散もほどほどにしないと、爆発したときには、取り返しのつかない行為だったりしてね。普段ストレスのないみたいに言われている僕でも、時々、正体を失って、知らない公園でしゃがみこんでアリさんを眺めてたりしますからね。
時々、なんでそんなにピリピリしてるのっていう人いるよね。ああいう人に遭遇するとなんだか気の毒になってくる。電車の中で足を踏んだだの踏まないだの、通勤ラッシュで踏んだ方も特に悪気はないだろうに、「踏んだら謝れないのか!君!」って、そんなにイヤならはなからラッシュに電車乗らなきゃいいのにね。そういう僕もこの前、「おいっ、お前、押すな!おいっ、お前だ、お前」って言われて「キャーこわいおじさん。奥さんと上手く行ってないんでしょ?でも、この場合、一体、どちらが押しているんでしょうかね、おじさん、相対性理論はご存知?」などと、饒舌に切り返したかったものの、本当にご立腹しちゃうと人って、うまく言葉が出ない。こんなとき、関西人の血とは恐ろしいもので、「じゃかましいわ、こらぁ!」とついつい口走り、おかげで、僕だけ、ファーストクラスみたいにゆったりと次の駅まで電車の旅を楽しめました。
子供の時、口げんかで、強い子はヒーローだった。子供のケンカというのは子供的原始社会における儀式的な役割があるんだと思う。チームになって、その代表者が一人づつ出てきて口げんかを始める。ああ、きっと縄文時代の日本もこんな戦をしていたんだろうなと容易に想像がつく。縄文時代の戦では「さきがけ」と呼ばれる存在が、一人、群れの中より出てきて、自分の性器をあらわしにし、敵を罵ったという。まさにそんな感じだ。今のラップのフリーバトルなんかもそうだね。「やーやー、お前のかあちゃんデベソ」みたいなね。僕もそういう饒舌さにあこがれるな。口で負かして、相手を泣かしたらスッキリするだろうなって。でも、僕は興奮すると、逆に口ごもってしまうタイプ。
しかし、僕は表現における饒舌はあまり好きな方じゃない。僕の中での詩のテーマというか、自分なりに取り組んでいるのは、沈黙や、言葉にならない齟齬や、放たれなかった言葉や、嘘、矛盾、間違った、またはズレた表現。僕はこれを不完全言語、またはプレ言語と言っているのだけど、そういうのが僕にとっての一番魅力あるテーマ。上手いこといってる完全な表現って、もうそれでいいじゃんみたいなところがある。でも、少し間違ってるって誰もがわかる表現の方が「ん?」ってなる。その「ん?」の中に、色々な意味や対話が発生すると僕は考えている。
饒舌な怒りよりも、言い淀み、言い切れなかった、すごく圧力のかかった沈黙の方がものすごく、ポエジーなんだな。そういうのってどうやって表現すればいいんだろうね。そういう爆発寸前の沈黙を、ハイ、これがそうですよって人の前に提示できたら、いいなーと、いつも目論んでいるんですけどね。それができなくて、いつも僕の表現はどもり、言い間違い、言いよどみ、齟齬だらけなんですよ。ま、それはそれで僕好みというわけですが。
本日、お久しぶりのFLASH作品。結構過去の作品なんですけれど、リニューアルです。その時には技術的に出来なかったことが出来るようになったので。
「BOMB」という小品です。音をおっきくして、覚悟して閲覧してください。