「子供のためのコンテンツをつくること」          cooma.exblog.jp

言葉と文化
by radiodays_coma13
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
またあの悪夢をみるだろうか
 また、あの夢をみた。まぶしい、ふと気が付くと、舞台の上に立っている。光をさえぎって、観客の方をみると、大きなホールが人で埋め尽くされている。あわてて周囲をみると、舞台の上には自分一人だけ。観客は目を見開いて、次のアクションを今かと待ちわびるように、或いは、さあ、早くなにかやってくれと、僕の一挙手一投足を見逃すまいと見つめている。しかし・・・、僕は次になにをすればいいのかなんてさっぱりわからない。つまり、すっかり忘れちゃったわけだ。不都合なことに忘れた事だけは覚えている。つまり、僕はここにいる全員を裏切る事になるということだけわかっている。足下から凍りつき、ついにはそれがこめかみに上ってくる。火傷するような冷たさだ。冷や汗がにじみ出る。静かだ。この静寂を破らねば、だが、僕には、この沈黙を破るどんな気の効いたことを言うこともできそうにない。アワワワ。

 いつもここで汗だくになって目が覚める。もう、この夢を見始めて10年近くになる。しかし、この夢は夢なんかではない。僕は一度、これと同じ事を経験しているのだ。だからこそ、この悪夢を見続けている。もう10年もの間…。勘弁してくれ。しかし、それは一度の現実ではなく、夢に背中をおされるように何度も舞台の上でこの悪夢を再現している。僕はある時から、舞台の上でセリフを喪失するようになった。稽古では、ミスなどしないのに、本番に限って言葉をなくす。こういうのを精神医学では「イップス」というらしい。よくスポーツ選手がこれにかかり、引退を余儀なくされると言う。ゴルフのパットがまったく決まらなくなったり、ピアニストの指がまったく動かなくなったり。僕の場合は本番中にセリフが消えるという症状だった。

c0045997_1241550.jpg とにかく舞台が好きだった。舞台の近くにいられるのならなんだってした。自分で劇団の立ち上げに関わったり、人の劇団のお手伝いをしたり、役者としてだけではなく、裏方としても。ある時、すごく大きなチャンスが巡ってきた。ミュージカルの準主役。なぜ、僕自身、そんな大役を手にできたのか理解できない。出来心でオーディションを受け、なにかアカペラで歌ってくれという注文に美空ひばりの「りんご追分」をセリフ付きフリ付きで熱唱したら、受かってしまった。おせじにも巧かったとは思えない。ただ、非常にウケがよかった。僕はその本番でやらかしてしまった。本番が近づくに連れ、ミュージカルシロートの僕には大きなプレッシャーがかけられた。団員を差し置いて準主役を獲得した僕に周囲の反応もなかなかに冷ややかだった。前宣伝も次第に過剰になってゆき、これは失敗できないぞ!という気持ちも過剰になっていった。そして、本番・・・。

 僕はそれ以後、そのトラウマを抱え続けた。次第に舞台に立つだけで震えがきた。役者としての終わりを感じた。せめて舞台の近くにいたいという気持ちで舞台の会社で働いた。舞台の袖にいて、照明や音響に「キュー」を出したりするのだが、舞台を横から見つめるだけで、じんわり手に汗をかき、セリフもないのになぜかミスを連発した。病院にいって相談もした。その時に「イップス」という言葉を知った。しかし、治すもなにも気持ちの持ちようなのだ。医者にはある時、ふっとよくなるものですよ。精神安定剤を数日分もらった。けれど、そのある時はやってくる兆しがなかった。僕は劇団をやめた。

 それでも、なにかがあきらめきれなかったのだろうか、自分でもよくわからないが、気がつくと、休みの日には、バーやいろいろな場所で詩の朗読をするようになっていた。詩の朗読は、テキストを手に持っても、なにも言われないのでセリフを失くすこともない。それに詩はテキストや読み方まで自分の創作演出なので、非常に自由だ。僕は次第にその深さと面白さにのめりこんでいった。自分ではリハビリのつもりだった。しかし、基本的に詩の朗読が表現である以上、演出としてテキストを持つのはありとしても、本来はテキストは持つべきではないと思った。テキストを持たずにやってみた。しかし、きちんとセリフは飛んだ。いろいろな舞台で挑戦し続けたが、セリフは飛び続けた。その都度、舞台の上で凍りついた。それでもやめなかった。なぜなんだろう。いつも舞台の上で猛烈に後悔した。

 前置きが長くなったが、僕はまた懲りずに舞台に立とうとしている。懲りずに?いや、懲りるもんか。舞台で台詞をなくしてフリーズしている僕を、もし誰かが引きずり降ろそうとしても、僕は舞台にしがみついてでも舞台に居座ってやる。さて、それが来たる3月18日、大阪での話し。去年の5月に東京でやった「A day」という舞台だ。このブログを見てくださっている方にも多く足を運んでもらった。ありがたい話です。おかげさまの好評につき、大阪公演が持ち上がった。さて、その去年の5月でも僕はきちんとやらかした。テキストをもたない作品で数分間フリーズした。3月の大阪公演ではどうだろうか、懲りずにテキストを持たない朗読をするつもりでいる。どうなるかはこうご期待。
c0045997_1201413.gif
 それまでしても、舞台に立ちたいのだ。こうなったら意地だ。TVでお笑い番組を観ていると時々、芸人がフリーズしているのを目撃する。プロだってそうなんだ。そういう時は、いたたまれない気持ちになる反面。非常にうれしい。もし、同僚なら、肩を抱いて励ますだろう。同時に傷口に塩を塗りつけるだろう。「わっ、さぶっ!最悪!客全員おもいっきりひーとったやん。もう、お前におもんない芸人のイメージ出来上がってるわ、もう、誰もお前で笑わんわ、でも、がんばりや、なっ」という具合に。

 なぜそこまでして舞台なのか?舞台の何が面白いのか。その答えは舞台の終わったあとにある。客がハケ、絢爛豪華なセットや派手な照明器具がすべて片付けられ、モップで舞台をはわく。ほとんどのスタッフも舞台からいなくなる。余分な照明を落として、なにもない舞台に寝転がる。これだ。たくさんの人が長い時間準備して作り上げ、今宵一夜のショーを繰り広げる。多くの観客の驚き、笑い、どよめく声、緊張する役者やスタッフ。こだまする拍手。目を閉じ目を開くともう誰もいない。そして、誰もいなくなった。あれはなんだったのか?この感覚。寝てみる夢を現実という世界に作り上げること。究極のハレとケ。祭りの感覚。僕は特に祭りの終わった後の空虚感が好きだ。そこには世界を丸ごと飲み込んでしまうような、豊かな「無」がある。

 その「無」に触れるには、一度、その上に、無が見えなくなるまで、積み上げなくてはならない。積み上げて積み上げて、また崩す。するとそこに、前よりも深く豊かな「無」がある。そこにまた積み上げる。ヒーヒー言いながら、そして崩す。快感。繰り返す、何度も何度も繰り返す。その度に恐ろしい悪夢を見続ける。でも繰り返す。俺はバカか?でもこの悪夢を見るためには一人では無理だ。いろんな人が関わって、いろんな人を楽しませるために、長い時間をかけてなにかを作り上げてゆく。僕は単に、誰かと何かを作る行為が好きなだけなのかもしれない。あの悪夢は、僕にとっての例えば決意なのだ。楽しませなきゃいけないという気持ちが悪夢を繰り返し再生さているのだろう。

 どうですか?こんなにおおげさに書けば、少しは僕の舞台観てみたくなりました?ダメ?そんなつれない事いわないでさ。舞台の上でフリーズしている僕はとってもキュートですよ。首がカックンカックンして、壊れたおもちゃみたいになるんだから。これはもうジェームス・ブラウンのマントショーみたいなもんなんだから。ものすっごくカッコ悪いんだから。。。

 じゃあ、ひつこく宣伝タイム!SSWSというイベントでの音源が公開されているので、それも聴いてみてください。きっときっと、みてみたくなるはず。多分。多分ね。興味の出た方は「A day」ブログへいってらっしゃい!今日はたくさんじこしゅちょうしました。
[PR]
by radiodays_coma13 | 2006-02-13 01:25 | パフォーマンスの現在
<< あなたはなにをする人ぞ 合コンの魅力について語れ! >>