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言葉と文化
by radiodays_coma13
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『ROOM』
おひさしぶりです。ええ元気でしたよ。やっと日記が書ける時間が戻ってきました。うずいてました。でも、なぜ書けなかったかというと…。

 10mの崖っぷちからダイブでもするように浴槽に飛び込む。頭までどっぷり湯につかり、ゆっくりと首を出す。放心。あわただしい半年間だった。今日、トドメのイベントが終了し、なんだかやっと息継ぎができたという気持ち。この半年間、呼吸をせずに走り続け、気が付いたら湯船の中。半年間どこに行ってたんだろ、そんな感じ。体の芯から、震えのように疲れが湯の中に解けてゆく。いくら湯船に漬かっても漬かっても、どろどろといろんな色の疲れが噴出してくる。なんだか湯が濁ってゆくような心地がして蛇口から湯を出し続ける。一時間。風呂から上がった頃には体の中がまったくの空っぽに感じられた。明日のためのこまごまとしたしなくちゃならないことをガラガラと脇に押しやり裸のままベッドに倒れこむ。もうなんだっていい。例え、いまゴジラがヤスキ節を踊っても今の僕には興味ない。眠らせろ。

 とても変な夢をみた。猛烈なブリザードが東京を襲う。風速200メートル。その風に直撃したらみんな凍る。東京の丘から眼下を見下ろすと風速200メートルのブリザードがカチコチに凍った人々を吹き上げている。なんだか、楽しそうだ。あれに巻き込まれに行こう。びゅーん。わー楽しいけど寒い。寒いけど楽しい。しかし、寒い。寒い。

 目が覚めると見慣れない高い天井。クーラーが効きすぎている。裸で眠ったんだった。手をのばすといつもはぶつかるはずの壁がない。広いベッド。気持ちのいい朝の日差しが差し込んでいる。ガバっと飛び起きて辺りを見回す。大丈夫、夢じゃない。いや、夢なんだ。引っ越したんだった。夢のマイホーム!参った。ついにやっちゃった。夢のマイホーム、衝動買い35年ローン。でも、そう思った途端、得も言われぬ不安のフリ戻しが震えようによみがえる。風速200メートルのブリザードみたいだ。でも楽しそう…。ほんとうに家なんか買ってよかったんだろか・・・。しーらないっと。僕の友人が言ってくれた。「年相応の生活というのがあるのよ」。そうだよな。年相応。僕はもう若くない。年相応か…。そうやって、少しづつでもハードルを設定しないとなにもしないまま、時間だけが過ぎてゆく。よく知っている。だって、これまで、なにもしなかったから。

 大学生のころ、初めて東京に遊びに来た。遅い東京デビュー。山の手線をぐるーっと一周。その頃は汐留も六本木ヒルズも恵比寿ガーデンもなく、街といえば渋谷、新宿、池袋。その中でも、詩を嗜む、純真なアート青年の心を射抜いたのは池袋であった。NHK芸術劇場でおなじみの池袋芸術劇場。日本で唯一の詩の専門書店「ポエムパロール」、新宿みたいにビビットじゃなく、渋谷みたいに気取っていない。なんかいいな。でも、あこがれるだけの遠くの街でしかなかった。しかし、僕は今、その街をパジャマで自転車に乗ってブイブイ言わせている。

 僕は多分、とてもミーハーだと思う。都会が大好きだ。でも、そんなミーハーな自分も大好きだ。僕は都会の汚いところが嫌いだ。うるさいところが嫌いだ。人が多いところが嫌いだ。夜眠らないところが嫌いだ。人がイライラしてるところが嫌いだ。欲望が渦巻いてるところが嫌いだ。夜明るいところが嫌いだ。でも、そこにいる自分が好きなのだ。なぜだろう。都会にいないと落ち着かない。自分が世界から関係のないところにいる気分がする。僕の友達のアーティストが「アーティストは自然豊かな場所に住むべきだ」と言っていた。でも、僕には無理だ。多分、アーティストじゃないんだろう。田舎に行くと空気が綺麗すぎて窒息死しそうになる。バーガーを嫌悪するドナルドのような存在なのかもしれん。「それでも、僕にはマックしか居場所がないんだよ…」

 この6年間で6度引越しした。その度に都会に近づいている。確かにちょっと疲れるけれど、想像力は刺激される。環境は人を大きく変化させる。いや、もしかしたら、人は自分の力で自分を変えることはできないのかもしれない。自分の思い通りに行動しているというのは思い込みなんだろう。大都会のジャングルでチーターは生きてゆけない。人食い虎だったらなんとかなりそうだけど…。そんな話じゃなくて。そこに住んでいる人や文化はそこの土と水で育っている。笹の葉が獰猛な熊をパンダに変えてしまうのだ。

 部屋だってそう。自分でさまざまなものを配置しているようだが、引越ししてわかった。ちょっと違う。部屋に自分が配置されているという感覚。自分の部屋の枠を超えて、僕はその部屋に存在することができない。部屋は自分の鋳型みたいなもんなんだろう。僕がいなくても、そこには僕の形の空洞がすっぽりと用意されている。しばらく、同じ部屋にいると自分にジャストフィットする部屋が出来上がる。いや、自分も部屋によって形を変えられる。部屋と自分が同化してくる。

 部屋は、その人の頭の中をのままミニチュアで再現したようなものではないかと思う。他人様の家にあがると、不思議な感覚になることがある。それは「文法の違い」という言葉で表現できると思う。ルールが違うと言うか、なんだろう、語られ方が違う。ちょっとした雑貨や、部屋の配色、モノの配置。それらが構成して作り出す、その人の世界、そして世界観。その有り様が自分の認識している世界観と大きく異なる事に混乱してしまう。しばらく、そこにいると、その部屋の存在に自分が取り込まれてゆくような気がする。いつもの自分と考え方が変わり、話す内容が変わってくる。自分の感じ方や表現が、その人にとって適切でないような不安が湧き上がってくる。その人の部屋の中では、自分はその部屋を構成するモノの一部に過ぎないのだ。

 久しぶりに実家に帰ったりすると、昔の自分の部屋が手をつけられずにそのままで置いてあり、そこに入ると、とても妙な感覚に襲われる。そこが自分の部屋であったことが不思議でならないのだ。まずは知らない匂い。置かれているモノや、その配置のされ方に「他人」を感じる。そこで、初めて自分が徐々に変化を重ね、気がつくとまったく異なる存在になっていることを悟る。そこには当時のままの自分の形の空洞がポッカリあいている。そして、現在の自分はその中にジャストフィットしなくなっている。よそ者なのだ。数学的な負の自分は饒舌に何かを語りかけてくるように感じられる。その時の自分は何を考えていたのか、今の僕になにを言わんとしているのか。昔の自分の部屋でゆっくり時間を過ごすのも楽しいものであります。しかし、それ以上に、新しい環境で自分の居場所を作っていく作業はもっと刺激的で自分が生まれ変わるような気持ちがするものですなあ。

さて、今回、日記に関連して、お久しぶりのFLASH作品をお届けします。
「ROOM」です。
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by radiodays_coma13 | 2005-09-23 23:50 | 考える
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