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言葉と文化
by radiodays_coma13
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蝉の恩返し
 暑いですなぁ。もう、本当に蝉も満開ですよ。先日、会社の帰り道、駅から自宅に帰る道すがら、いつも通る公園でのこと。少し風の強い日だった。小雨もぱらついており、帰りを急ぐ僕の足元に突然、一匹の蝉の蛹が降ってきた。危うく踏みつけそうになるところを留まり、驚いてその場に立ち止まっていた。推測するに、誰だってそういうのはあまり気持ちのいいものではない。目の前にいきなり、得体の知れないものが現われ、ぎゅるぎゅる蠢いているのである。普段なら、くわばらくわばらと腕をさすりながらその場を去っていっただろう。けれど、薄暗がりの中で裏向きになってもがいているその存在は、妙に艶かしく物悲しげに見えた。なんというか、とても人肌の質感に似ていた。その腹と手足をばたつかせ、自力で元の姿勢に戻れず、もがいている。

 にわかに想像がふくらんでしまう。朝のラッシュ、通勤電車を待つ行列に並んでいると、誰かが走りこんできて、自分に衝突する。その反動で、バタンと仰向けに転んでしまう。すぐさま起き上がろうとするが、起き上がれない、もがいてももがいても仰向けの姿勢を崩すことができない。誰も起こしてくれない。誰かの足にすがる。しかし、その足が腕を振り切り、反動で僕をホームから転落させてしまう。そこに電車が近づいてくる。起き上がれない。わぁ!自分の妄想に冷や汗をかく。…目の前で蝉がもがいている。

 意を決して、蝉を指でつまみ上げ、木の幹に止まらせようとする。が、次の瞬間、手の中で彼が暴れる。驚いて落っことしてしまう。いや、違う、恐怖だな。「生きてる!」当たり前なんだけど、ものすごく怖かった。ミミズが這ったような痺れが背筋を走る。でも、こうなったら、放り出せないよね。ほっぽり出して逃げ出したかったけど、そんなことしたら、きっと蝉に「なんでやねん」と突っ込みを入れられる。一度、関わってしまったのだ。再度挑戦。こんどはうまくいった。手の中に、彼のなんともいえない柔らかい感触が焼きついてしまう。

 今度こそ、くわばらくわばら、腕をさすってその場を立ち去ろうと、顔を上げると、歩道の上にゴロゴロと蝉の蛹が転がってもがいているではないか。やれやれ…。「やりかけた仕事を途中で放りだして逃げるのかね」頭の中で声がする。今まで放りだしてきたことの数々が頭によぎる。なにも今こんなところで思い出すこともないだろうにと思うのだが、思い出したものはしょうがない。ひゃあひゃあ女の子みたいな悲鳴を上げながら、一匹づつ蝉を木に戻してゆく。背筋の痺れは、ついに脊髄を登ってゆき頭のテッペンまで到達する。僕はあらかじめ蛹を木に戻すとブルブル震えながら、あわててその場を離れた。

 その夜、頭の芯に到達した痺れが抜け切れず、眠れないまま妄想とも悪夢ともいえぬアイデアに悩まされる。「蝉の恩返し」である。でも、彼らがうまく人間に化けて出てくるとは想像しがたい。蝉のまま恩返しに来られるのも相当に嫌だが、半人半虫の姿だけはやめて欲しい。想像するだけでおぞましい。イメージではちょうどバルタン星人みたいな奴だ。そいつらが僕の助けた数だけやって来て、部屋の中で「フォッフォッフォッフォ」と愉快に騒ぎ出すのである。

 いや、万が一、彼らがうまく人間の姿に化けられたとしても、全員、美しい女性とは限らない。僕の部屋は、男女入り乱れてのラッシュアワーの満員電車状態である。そして、忘れてはいけない。例え、彼らが最大限に気を利かせて美女に化けおおせたとしても、彼らは蝉である。これが実にうるさい!例え美女でも、例えば上沼恵美子さんと松野明美さんと久本雅美さんがTVナイズなやかましさでやって来るのである。しかも大群で。これはとてもムーディーとは言いがたい。その夜はなかなか寝付かれなかった…。

 次の日、会社の帰り道。僕は本当の蝉の恩返しに出くわす。薄暗い茂みの中で白く光るもの。見ると、それは蝉の脱皮のまさしくその瞬間だった。それは昨日のグロテスクな艶かしさではなく、神々しいまでの白。青白く闇の中で光を発している。それが本当にゆっくりゆっくりと大事そうに、皮を脱ぎ捨ててゆく。脚をシンメトリーにとても機能的に動かしながら。まるで、よく出来たコンテンポラリーダンスでも見ているようだった。僕は息をするのも忘れて、それに見惚れた。

 と、その時、目の前を白いものがよぎる。他の蝉が脱皮の途中段階で抜け殻から落下したのだ。まだ、羽も伸びきっていない青白い蝉。彼は落下した後も必死に松の木に戻ろうと、力いっぱいもがいている。ようやく幹の下までたどり着こうとしたところで、松の落ち葉の尖った針が彼の柔らかい羽を捕らえる。彼の肢が全力を振り絞ったように震える。その時、彼の柔らかい羽に大きな穴があいた。しかし、なんとか針から抜け出し、彼は幹に辿り着く。不思議な事に今度は、僕は彼を助ける気分にはならなかった。何故だろう。都合の良い善意なんである。でも何故だか、今度はそうすることが不適切であるように思われたのだ。理由はよく分からない。一言だけ頭に浮かんだのは、説明にはならないが「彼は戦っているんだ」という言葉。

 ふと頭上を見上げると、今まで気がつかなかったが、木の幹や葉や枝から無数の青白いセミたちがぶらさがっていた。白い光を発して、まるでクリスマスツリーである。胸にあついものがこみ上げてくる。そうだ、これと同じ感覚になった事がある。今から息をひきとろうという人を看取る時に感じたものと同じだ。その人の呼吸は長い時間かけて、だんだんと薄くなってゆき、最後に一度、のけぞるほど大きく息を吸い込み、その息を大切そうにゆっくりと吐き出して、吐き出して、残る息を「ふぅ」と疲れたように吐き出しきると、そのまま死んでしまった。その時と同じ。なぜだろう。僕は普段、こんなにも生きているものたちに囲まれているのに、その生きている感触というのを実感することなんてない。なのに、どうして今、蝉の脱皮を見てその感覚におののいているのだろう。
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 脱皮の瞬間、おそらく彼らにとって、今が人生の一番クライマックスの瞬間ではなかろうか。6年、10年、長いもので20年も地下の中で眠り暮らしてきて、ついにこの日がきて、地上に繰り出し、彼らの地上での熱くて短い数日が始まる。その始まりの儀式。その時、彼らは一番脆くて弱い存在になる。こんなところでダメになってたまるものか!と懸命な彼らの震える肢はそう言っているように見える。なんのために何年間も耐え続けてきたのだ。運良く成虫になった者たちはあらん限りの声で叫ぶことになる。その前段階。きっとこの時が彼らの一番のエクタシーだろう。矮小な喩えだけれど、大学を合格したときの喜びと、大学生活の差である。そう言えば、通過儀礼の恐怖と喜びが伝わるだろうか?

 とても荘厳な数十分だった。どんな神秘体験よりも神秘的だった。UFOなんか、これに比べると、蝉にオシッコを引っ掛けられくらいの、ちょっと誰かに言いたくなるくらいの珍しさの体験にすぎない。ありがとうありがとうと心の中で言いながら、僕は内心、これでセミの恩返しが終わってくれればいいなと思うのでした。もしかしたら、この夏のセミをちょっとだけうるさくすることに貢献したかもしれない真夏の夜の出来事でした。おしまい。
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by radiodays_coma13 | 2005-08-06 23:55 | くだらないこと
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