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言葉と文化
by radiodays_coma13
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日々之好日とテロルの匂い
 また、同時多発テロだ。世界中がテロルの匂いで満たされている。きな臭い。今度は日本か?そう思うのは心配性だろうか?

 まず、この度、テロで亡くなられた方々に深い哀悼の意を、そして、今もまたなくなり続けている中東の方々にも同じように哀悼の意を!
 
 誤解を承知で言います。自業自得なのだ。これは戦争なんだから。ブレアさんは、テロは許せないと言い放つ。では、殺しますと宣言して殺すのは善なのか?殺し、殺されただけだ。なぜ、テロだけが悪なのか?こういうと僕も危険思想だろうか。中東でも同じように一般の人々、差別なく女性や子供も多くの犠牲者を出している。その数は今回のテロ、そして、前回の同時多発テロの犠牲者を足してもはるかに凌ぐ。それでも、一方的にテロを断罪すべきなのか。

 今世紀はテロの世紀だと誰かが言った。そりゃそうだろう。肥大化した軍事的経済的大国と対等に渡り合う手段としてテロリズムしかないからだ。彼らは彼らなりに有効な手段として彼らのジハードを戦っている。誰が始めに仕掛けたのか?ああ、石油の利権の匂いがするね。本当にきな臭い。火を近づけたらえらい事になりそうだわ。

 戦争はいつも強者が善で弱者は悪になってしまう。ここで、政治的発言は控える。言えば言うほど虚しくなる。右も左も危険視される。お叱りは甘んじて受けます。僕には確固たる思想などありません。でも、思想には右か左しかないのかしら?戦争反対なら左?戦争反対な右はなし?○×街角アンケートじゃないんだから。しかし、現実に起こっているのは理屈の戦争じゃないのだ。

 僕には到底エルサレムの平和を想像することができない。なぜ、僕はここでこんなことを口に出すのだろう?考えなんかまとまってはいない。面白おかしくも分析できない。ただ、世界を満たしている暴力の深さに、めまいがする。「平和」なんて言葉、口に出したくもない!胸糞わるい!大統領じゃあるまいし。

 でも、僕は黙ってられない。自分がなにもできないとわかっていても、あきらめられない。なにもできないとは信じたくない。しかし、こんなんじゃダメだ。怒りや憎しみじゃ。フォースが乱れる。暗黒面にひきづられる。ハハハ…。

 2年前、イタリアからスペインに向かう夜行列車の中でイラク戦争が始まった。列車の中は騒然としていた。イタリアの国歌をわめきちらす女子高生たち、頭を抱える人々。議論しあう酔っ払い。その時、昨夜のローマ国防省前の異様な厳戒体制の理由が明らかになった。そういうことだったのだ。機動隊が道路を封鎖し、私たちに銃を向けたその理由。街にはイラク系の住民たちが目をギラギラさせて興奮状態にあった。我々は車を乗り継いでイラクにたどり着くことが出来る。こことそこは地続きなのだ。戦争がすぐそこで始まっている!

 翌日、それでも、日本人の僕は、バルセロナの街を平和に闊歩していた。しかし、移動中の地下鉄でその出来事が起こる。電車のアナウンスがなにやら声高に乗客に訴えかけている。それを聞いた乗客たちが、一斉に次の駅で降車してしまう。それを追って地上に上がった僕は信じられない光景を目にする。津波のようにメインストリートを行進するデモ隊であった。地下鉄から降りた乗客はその流れに合流してゆく。その数、数万。数キロにもわたる広い通りが、人で、怒りで埋め尽くされている。とにかく怖かった。足がすくんで、僕はその戦争反対のデモ隊に合流するどころではなかった。

 ホテルでは「日本人は帰れ」と忠告された。「今、日本もそれどころではない」と。そうだ、それどころじゃないんだ、日本はこの戦争に参加しているんだ。それどころじゃなくなった僕が急ぎ帰った日本は、それどころだった。「お昼やーすみはウキウキウオッチング」だった。デモもあるにはあった。「戦争はやめてあげましょー」なテンション。屋根の上に登って降りれなくなった猫を助けてくださいと言ってるんじゃないんだよ!叫びたくなった。

 しかし、二~三日も経つと僕にもウキウキウォッチングなお昼が戻ってきた。本当に日本は平和なのか?不安をあおるつもりはない。しかし、「平和」という名の下で、我々はブロイラーの鶏がベルトコンベアの上でクリーンに解体されるため、ふっと足元をすくわれるように死に直行している。生き死にという絶対的な暴力をマスコミは華奢な幻想にしてしまう。これも立派な暴力じゃないか。それならば、不快なほどにわめき散らして、暴力の影に対して警鐘をならすほうがよっぽどいい。

 今、日本が対峙している暴力は、本当は対外的な暴力ではないような気がする。暴力を組織化し美化し、正当化する超合理主義社会のホワイトの深部で、相対してハレーションを起こしている、真っ黒い個人の闇が持つ暴力の存在ではないか。まさに21世紀はゲリラ的暴力の時代。個人vsマスとの暗い戦いの時代。我々はつねにテロルにさらされている。それは対岸の火事じゃない!僕らは明日死んだっておかしくないんだ。コケコッコ!
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by radiodays_coma13 | 2005-07-09 16:02 | 考える
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