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言葉と文化
by radiodays_coma13
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『Butterfly』
 久しぶりの新作FLASHです。ここ三ヶ月、ものつくりしてなかったわけではありませんよ。どちらかというとステージに立つことの方が多かったのです。そういえば、そのトドメとして、SSWSのグランドチャンピオントーナメントが来る7月15日(金)にあります。それ以降はまだステージに立つ予定などハッキリしたものは入れていないので、今のうちに観たい人はどうぞ。なんて、ちょっと宣伝らしい宣伝をしておきます。

 今回のテーマは「時間」。震災についての日記でも触れたけど、「事故にあう人、あわない人、それらを分けるものはなんなのか」。ということについて考えたコメントが随分と溜まっていた。その中から「震災」というテーマを抜き出して作品にしたのが「A day」やSSWSでも発表した「0199501170546」。そこで、時間や事件の必然性について記録したものだけを抜き出して作品にしたのが今回の「Butterfly」。まずは作品をどうぞ。「Butterfly」
『Butterfly』_c0045997_014563.jpg

 一時期「カオス理論」にハマっていた時期がある。その中にバタフライ効果というのがあって、どこかの飛行機が乱気流で墜落するのは、地球の反対側で蝶々のはばたきによるものであるという説だ。それは比喩であり、つまり、ほんの些細な出来事がある出来事を決定付けてしまう。例えば、あなたが今、まばたきするかどうかで、運命は変わってくる。今、さっきしたあなたのくしゃみで、スカンジナビアの少女が身投げしたかもしれないのだ。そんなふうに考えると、我々は、一瞬一瞬無数の選択肢の網の中にガンジガラメになっていることになる。なんだか、居心地の悪い話だ。

 一方にはこんな考え方がある。「神はサイコロを振らない」アイシュタインの有名な言葉だ。しかし、この考えに基づくと、全ての運命はあらかじめ決まっていたことになる。宇宙が出来る寸前の無の中には現在に至るまでの情報が全て詰まっていた。数学にはラプラスの悪魔という悪魔が住んでいる。ラプラスの悪魔はこう言う「全ての運命は計算によって導き出せる」つまり、それによると、僕という人間がこの世に生を受け、どういう性格になり、どういうふうな恋をして、どんなふうにふられて泣いて、どういうひねくれ方をして、どういうふうに死ぬかを、しかるべき計算によって導き出せるということだ。そして、これもこれで居心地の悪い話である。

 まあ、創造主なるものが存在するとして、僕たちの居心地のいいように世界を作ったとはいいがたいけれど・・・。「運命は自分で切り開くもの」という考え方もある。それを科学的に突き詰めていけば「多元的宇宙論」になる。つまり、僕の運命もあれば、あなたの運命もある。そう、世界は別々ってこと。今朝、自転車で転んでびしょびしょになった僕もいれば、そうならなかった僕も存在するというのがこの理論。宇宙はどんどん枝分かれしてゆく。この宇宙には同時にそのような宇宙が存在しており、なにがしかの装置を使えば、そのなにがしかの世界へ移行できるというのだ。それが「タイムマシン」の原理なのらしい。

 でも、ストーップ!じゃあ、世界は一体いくつあるの?人や運命の数だけ世界があり、例えば、あなたが部屋でこっそりオナラをした世界としなかった世界があって、そう遠くないどこかで僕は強制的にあなたがオナラをした世界としなかった世界に別離してしまうことになる。じゃあ、この世界は?って考えると頭が痛くなってくるよね。でも、そうすると、こうも考えられる。「あなたの一挙手一投足が世界を劇的に変えていく」。つまり、あなたが見ている世界は、あなたが作り出している世界。あなたの世界の中で爆弾が落ちたのならそれはあなたのせい。あなたの世界で誰かが爆弾を落とすのをやめたらそれはあなたのおかげ。

 タルコススキー監督の「サクリファイス」という非常に美しい映画がある。ある日、初老の男が、ラジオから世界中に核爆弾が落とされるというニュース速報を聴く。人々はパニックに陥る。そして、この男は全てを失っていいから、この悪夢を覚まさせてくださいと神に祈る。すると、次の瞬間、そのニュースは消える。危機が回避されたのではなく、そういうニュース自体がなかったことになっている。つまり、時間は危機のなかった時へと巻き戻されたのだ。しかし、そのことを知るのはその男一人。誰も、そんなニュースがあったことすら覚えていない。しかし、男は誓い通りに全ての財産を焼き払う。サクリファイスつまり「犠牲」だ。まあ、ネタバレしてしまったが、この映画はネタを知っていたからといってどうなる映画でもない。とにかく一度、観てみて欲しい。おそらく80%の人が心地よい眠りに落ち。あとの20%の人が不思議な涙をこぼすのではないだろうか。

 「ものをつくる責任」について先日書いたばかりだが、人にはただ生きているだけで責任が付きまとう。しかし、それは非常に自由な責任であり、しらんぷりすることだってできる。しかし、責任とは、あなたのなにかしらの行動がなにかしらの結果となってドラスティックに返ってくるという意味だ。それは、悪事を働けば悪意で返されるなんていうチンケな責任じゃない。あなたは自分の生きている世界に責任を持たなければならない。それはまた別の意味でも当てはまる。世界をどのように見るかはあなた次第なのだから。あなたには世界がどのように見えていますか?荒んでいますか?僕には全部ひっくるめて尚まんざらでもありません。違うって?もしかしたら、本当に生きている世界が違っているのかもね。あなたは自分が世界を劇的に変えられるという話を信じますか?

 今、あなた、まばたきしましたね?では、僕はあなたが今、まばたきしなかった世界へ行きます。まばたきした方の世界には、もう一人の僕を置いていきます。では、さようなら。
by radiodays_coma13 | 2005-07-04 00:19 | 感覚について
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