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言葉と文化
by radiodays_coma13
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日本のドラマはどこへいった?
 「セックス・アンド・ザ・シティ」というドラマにハマっている。最近、映画やビデオをゆっくり観る時間もなく、その手の話には耳を塞いでいたはずなのだけれど、映画マニアの同僚の魅惑的な映画話にほだされ、お墨付きのあった「セックス・アンド・ザ・シティ」を一度、ためしに観てみることに。それが運の尽きだった。しかも、一本の映画ならまだしも、相手はシーズン6まである連続ドラマ。しばらくは寝不足の日々が続きそうだぁ…。

 ドラマに飢えていたのだと思う。日本のドラマにはロクなのがない。何度も言う。声を大にして言ってもいい。なんならTBSの玄関の前で大声を出してもいい。「日本のドラマはつまらない!」。キムタクとやらのロクでもない日本語を聴いていると神経が逆なでされる。極めつけは、幸い終了はしているが「Mの悲劇」はサ・イ・ア・クだった。

 あれはドラマじゃないね。遊園地の出来の悪いアトラクションみたいなもんです。走りだす前はドキドキする。そういう仕掛けだけは手間をかけてる。けど走り出して間もなくクエスチョンマークと嫌な予感が、チビクロサンボがトラと椰子の木を回るみたいに、頭の周りを回り始める。一体、いつになったら盛り上がるんだろうか。そろそろ、そろそろと何かを信じて耐え続けるが、唐突に終わりはやってくる。「ハイ、ここで終了です」「まさかね。」ニコリと微笑んで気を取り直そうとするが、そのまさかである。強制的にゴール地点に立たされている。

 うちの奥さんなんかは、「Mの悲劇」最終回、さあ、今まで期待させるだけさせておいて、きっと準備されているはずのカタストロフィーを期待して行儀よく観ておりました。しかし、あれよあれよと意味のない、符合やら、新事実のガラクタが積み重なり、いきなりジ・エンド。観客をおいてきぼりにしてドラマの方が勝手にカタストロフィーしてしまった。これじゃ、ドリフのコントである。「だみだこりゃ」と言いたくもなる。妻いわく「なんのために今までみてきたのかしら」。ごもっともです。チラ見していた僕だって憤慨しましたから。

 悲しいけれど、アメリカのドラマの方が本物のエンターテイナーです。さすがショービジネスの国。何が「ビバリーヒルズ高校生白書」やら「アリー・マイラブ」「フレンズ」なんていう長い長いドラマの屋台骨を支えているかと言うと、その時々の社会をきっちり反映して、その問題を取り込んでいると言うこと。僕は「アリー・マイラブ」にもかなりハマったのだが、アリーの場合は主人公が弁護士ということもあり、裁判が主軸となって、代理母や精神病の問題やらがフレーズとして、変奏され随所に登場する。

 「セックス・アンド・ザ・シティ」の場合、主題はズバリ、SEX。しかし、これが普通のシモネタではない。女性達が友人同士でお喋りするような類のシモネタなのである。男性のシモネタはジメジメしているのに対し、女性のシモネタってカラっとしている。その中には女性たちだけが持ちうる、性への真摯さが垣間見える。ドラマはドキュメンタリーをパロディしながら、ひたすら軽快に、しかし、今どきのニューヨーク、そして、現実問題をするどく映し出してゆく。見事である。僕なんかは、自分も女性の仲間に入り、まるで、自分も一端のニューヨーカーセレブになったつもり。見終わったらオネエ言葉になってたり…。

 アメリカの場合は事情が深刻なのかもしれない。社会の複雑な問題をドラマという形で共有し、癒してゆくという本来のドラマが機能しているように思われる。そして、そうしなければならない現状がアメリカにはあるのだろう。アメリカは歴史のない国と言われる。しかし、それが本当の意味で深刻なのは、国民が共有するべき、神話や民話、昔話がないということだ。しかし、彼らは映画を自らの文化にした。ドラマを神話のレベルにまで引き上げる不思議な能力を彼らはもっている。「スターウォーズ」もある意味、神話のない国の神話なのではないか。

 「深刻な社会問題は視聴率がとれないからね」日本のTVプロデューサーが言う。このピーマン頭!これこそ、想像力の欠如と言うべきではないか。それを上質のエンターテナーにするのがモノツクリではないの?面白おかしい仕掛けと人気者を使えば誰だってそれなりのものは作れる。でも、それがどれだけ優れているかは、そのこととはまったく関係がない。それじゃあ、いつまでたってもアメリカドラマに追いつけないよ。どこに行ったニッポンのモノツクリ!?

 近頃、韓国製の過去の日本ドラマを模倣したようなドラマがもてはやされているけど、あれは幼児回帰?それとも、懐古趣味?その幻想の向こうににあるのはバブル以前の日本の姿であるようにしか思えない。我々が失った何かがそこにある。しかし、今は21世紀、バブル以後の世界。いつか現実逃避していられないほどの現実が襲ってくる。そんな時、私たちは日本のドラマで本当にカタルシスを得ることが出来るでしょうか?答え、
「ノー!!!!」

追伸:倉本聰さんの「やさしい時間」は素晴らしかったです。エレガントです。そこには本物の時間がありました。
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by radiodays_coma13 | 2005-06-17 12:52 | 考える
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