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言葉と文化
by radiodays_coma13
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落語の笑いと遊びの可能性
落語にハマっている。

会社の近所に新宿「末広亭」がある縁で
前から気になっていた、柳家小三冶を観に行ったのをキッカケに
堰を切ったように、どっぷりと落語にハマっている。
古典から現代まで
音楽の変わりに一通り聴いてみた。

前からそんなに落語を好きだったわけではないのに
自分の人生にとって欠落していた部分を埋めるように
落語を欲している自分がいるのに驚いている。

落語には現代のお笑いにはない種類の笑いがある。
本来、笑いにはいろいろ種類があるはずなんだけど
現代のお笑いは特に発作的な笑い
神経症的でシュールな笑いばかりが目立ち
ゆっくりと心をほぐしてくれるような笑い
ハートウォーミングな笑いというはあまりない。

笑いはきっとマッサージのようなもので
笑うことで凝り固まった精神や緊張をほぐしてくれるのだと思う。
そして、そこには、マッサージの結果、得られる快感もある。

時代によって、緊張も異なる。
そこで、求められる笑いも異なるということになる。
現代は不条理で病的な社会に起因する笑いには事欠かないが
落語の長屋噺に感じられる隣人を愛したくなるような笑いはない。
現代にとって隣人は昔の長屋の隣人とは性質が異なり
不条理で脅威な存在である。
或いは、昔の笑いでは間に合わなくなってきているのかもしれない
しかし、笑わずに置いた心のどこかは
コチコチに凝り固まってしまっているように思う。
そういうポイントは増えていき、
心のどこかしこに、わだかまりを抱えているような気がする。
そこを有効にほぐす笑いはないものだろうか。

お亡くなりになった2代目桂枝雀さんは、
笑いを「緊張からの緩和」と定義し分類を行なっていた。
それに加えて、笑いには深さがあり、突発的な笑い、幸せを感じた時の笑い。
それらは、緊張のタイプとその開放のされ方によって変化する。
最終的にもっとも深い笑いは人生の緊張から解き放たれた時に訪れるだと言う。
それは悟りに近い感覚に違いない。

落語の笑いは発作的に激しい笑いよりもむしろ、
ステージの深いところを目指していると思われる。
アリストテレスが笑いについて触れたものに、
「笑いは人間の上下関係によって生じる」というのがあり
一種の優越感が笑いを生むとされる。例えばそれは蔑みによって生まれたりする。
漫才などのひとりがボケて、ひとりがツッコむというスタイルは、この種の笑いを
生じやすくしているのではないかと思う。
しかし、これは緊張の緩和理論でいうところの上下関係の緊張を緩和した笑いに過ぎない。
落語の場合にもこの種の笑いはいくつかあるが、
そこには、ある種の愛情が根ざしているように思う。
それは似ているようで非なる笑いをもたらし、
観客をより深い笑いへと誘う。

美味しいものを食べても人は笑うし
いい意味で期待を裏切られても人は笑う
微笑みという対人の緊張からくる笑いもあり
表面に出ない笑いもある
人はおそらく、動物的な感覚として、
課せられた緊張を緩和させる方向に向かうものだと思う。
そこには笑い的ななにかが存在しているはずだと思う。
そして、動物含め、或る時には擬似的な緊張を自らに課すこともある。
それが「遊び」というものの発端であると考えられる。

「笑い」、「緊張の緩和」という面から考えると
もう少しコンテンツとしての「遊び」の可能性を広げられるのではないだろうか。
多くの「デジタルゲーム」が、「与えられた課題」というタイプか
「恐怖」、或いは「物語」による緊張を主に扱っている。
しかし、そこには潜在的に遊びに含まれているが、
まだゲームというまな板の上には乗っていない、
もしくは、あまり取り上げられない、緊張がある。
そこにまったく新しい遊びというのではないが
新しい、遊びの局面、異なる見方、扱い方があるはずだと思う。
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by radiodays_coma13 | 2011-07-25 07:22 | 考える
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