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言葉と文化
by radiodays_coma13
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失われた味
職場の近く、気に入っているカレー屋さんがあった。
どこででも食べられる味ではなかった。
おそらく、世界中さがしてもそこだけでしか食べられないだろうな
ということが一口食べれば
世界中のカレーを食べなくたって誰にでもわかる味だった。
とにかくそんな味のカレー
もし、そのご主人がどこかにいなくなれば
もう誰も二度と、そのレシピを復活させることはできないだろう。
永遠に失われた古代の謎のように。
・・・

そのカレー屋のご主人が亡くなられた。
とても唐突に。
カレーの下ごしらえをしている最中に。

いつものようにお店を訪ねると
花束がたくさん添えられていた。

その味は永遠に失われた。

シャッターの前に立ち、目をつぶりしばらく
口の中にそのカレーの味の幻影の糸を手繰りよせようとした。
無理だった。
結局、そのレシピは分からずじまいだった。

高村光太郎の「梅酒」という詩のことを思い出した。

死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、
いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒涛の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻きにする。
夜風も絶えた。

(『智恵子抄』より)

カレーのルーは残っていないのだろうか。
シャッターの中、お店の中、おなべの中
その縁にルーはこびりついてないのだろうか。
できれば、そのルーを舐め取りたいと思った。
しかし、もう誰もそのカレーを食べることはできない。
誰も。

味覚は切ない。
味覚の記憶は
味、嗅覚、触覚、視覚、聴覚と結びつき
とても強烈なものとなる。
僕の記憶力はすこぶる悪いが
味覚に紐付く記憶力だけは誰にも負けない自信がある。
いつ、誰と何を食べていたのか、
その時の、誰かの顔、誰かの声、自分の気持ち
揚げ物のコロモの詳細の状態まで鮮明に思い出すことができる。
それだけに、同じ味のものを食べると涙が出てしまうことがある。
その瞬間、僕はタイムスリップして、過去のその時に存在している。

とても寡黙な人だった。
一切の無駄口をきかなった。
「ありがとうございます」という言葉を
舌を使わずに、喉の奥で言っていたぐらいだ。
深い目をした人だった。
愛想というものはなく
その目で睨まれると
誰もうつむいてしまうほどだった。
でも、いつもお客でいっぱいだった。
みんな静かに、カレーを味わっていた。
みんな喉の奥で「おいしいです」と言っていたんだろう。

料理人はうらやましい。
こんなときに不謹慎だけれど、そう思った。
誰もその味を忘れることはない。
もう誰も二度と味あわせてくれないその味は
唯一無二でその人の記憶に残る。

まったくなにをしてくれるんだ。
僕はそういうのはいやんだな。
だから、レシピが知りたかったんだ。

そんなに悲しいことはない。
僕は母の手料理のレシピをちゃんと自分のものにした。
カス汁も、肉じゃがも、うどん焼きも、梅干も、たまり醤油も
食べれば、そこに全てがよみがえるように。

自分ではそんなことを言っておきながら
僕は自分の子供たちに、毎日おいしい
きちんと調理した当たり前のものを食べさせて
子供たちの記憶の中に強烈に残りたい。
レシピもなにも教えてやるもんか。
死んでもらったら困ると思われていたい。

料理はいつか人の記憶を覚醒させる。
10年後、20年後
ふと、いつかの味によく似た味と出会う。
もしくは、同じ食べ物を食べ、思い出す。
ガツンと頭を殴打されたように
記憶がフラッシュバックする。
そんな風にして、何年後か
僕はこの土地のことを忘れても
そのカレーの味のこと、
その時のご主人の表情まで
思い出すのだろう。

たった数回しか行くことができなかったのだけれど。。。

いつか僕の子供たちが僕のもとを離れていき
親の顔も思い出さないような日々が続いても
日々のしめやかな食卓の記憶の蓄積さえあれば
僕は子供の中に息づくことができる。
そう思う。

そして、その記憶の中で、声はなくとも
それをほどこしてくれた人の
気持ちを味わい知ることができるのだもの。
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by radiodays_coma13 | 2010-04-09 01:12 | 食べる事と飲む事
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