「子供のためのコンテンツをつくること」          cooma.exblog.jp

言葉と文化
by radiodays_coma13
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批判について 傾向と対策
最近、youtubeやニコニコ動画などで
自称クリエイターの人々の作品が並んでいる。
その完成度やオリジナリティーには感服する。

そこには色々なユーザーの書き込みがされていて
賞賛や批判が渦巻いている。
その中で気になる種類の書き込みが
最近、増えてきたような気がする。

それは
「批評する人が上から目線でウザイ」とか
「自分で作れないのにクダナライとか言うな」とか
「技術的に未完成とはお前は何様だ」とか

何様ってお客様じゃないだろうか。
その種の書き込みを作り手側の人が
発していないことをただ願います。

なぜ、批判してはいけないのだろうか。
少なくとも大切な時間をそこに割いてくれたのだから
立派なお客様だ。
「絶対観るな!」と書いてあれば話しは別かもしれないけどね。

批判したことで作り手が育たないなんてことはありえない。
作り手を保護してはならない。
むしろ、作り手は時代の矢面に立っていただきたい。
いくら命を狙われようと、作り手は作る。
その時代に本当に必要なものは誰かが作る。

ワイキキのビーチで美女に囲まれて遊び呆ける
成金の息子の交響曲を多くの人が望むだろうか?

もし作曲家ショスタコービッチが国家から認められたら
戦争で命の危険にさらされなかったら
あの素晴らしい交響曲はかけただろうか。

「もし」はない。
けれど、結果的に戦争を超え
閉鎖された冷戦下のソビエトで
国家の批判にさらされたショスタコービッチは
現代人に共感しえる同時代的な作品を書いた。

「自分が作れないくせに」批判するなという意見がある。
「なにも知らないくせに」とでも言いたいのだろうか。
じゃあ、誰がその作品を買ってくれるのか。
企業がそれに対価を支払ったとしても
最終的にそれを選ぶのは
「なにも知らない」はずのエンドユーザーなのだ。

全員がいっぱしの批評家気取りでもいいじゃないか、と思う。
それはとても幸せな環境だ。
昔はものつくりになるためにはパトロンの存在が不可欠だった。
僕だって口八丁で企業を説得し、ものつくりになった。
しかし、今は全てのユーザーに門は開かれ。
ユーザーの直接的な力で「ものつくり」が生まれるような仕組みもできている。
なんて、幸せなんだろう。

「なんて幸せなんだろう。」
しかし、その幸せはこれからモノツクリをはじめる人々にとっての幸せ。
現在、ものつくりの権威にある人々は戦々恐々としているはずです。
そこでは本当の実力が問われるからです。

売れるものつくりと売れないものつくりの違いには
流れという運が大きく左右することはハッキリしている。
ある程度の実力があれば、あとは流れに乗れるか乗れないか。
同じ程度の実力をもった人間はたくさんいる。
芸能人も同じことだと思う。
すさまじい実力を持ち
自らプロと名乗ることもなくニコニコ動画などで
発表している猛者の人々。
「かなわないなぁ」と正直思う。

たいして実力のない自分が、なりたかった、ものつくりの職業についている
これは幸運でしかない。
もし、立場が逆転していたら、多くの人がもっと良いものをつくるだろう
そう思う。

経験値なんて誰にでも身に付くものくらいしか盾にはなってくれない。

「表現者」という職業。
それを引き受けたのだから。
それでお金をもらっているのだから
クソだといわれたら
それを真摯に受け止めなければならない。
その人にとってはクソだったという事実がある。

それでも我々は食べていかなければならない。
その批評を超えていかなければならない。
そういう職業なのだから。
むしろまともな批判さえされないもののほうが悲しい。
批判されないよりかはクソの方がマシだ。

もし、飲食店を営んでいるのであれば
もっと話しはシンプルだ。
マズイなんていわれなくても
次から来てもらえない。
それだけのことだ。
そこには批評もなにもない。
そして、店は潰れる。
何かしらの価値がなければ見放されるだけだ。
父がサービス業だったのでよくわかる。

それに比べたら芸術家は幸せだ。
「これは芸術です!」といえば半分くらいの人は
「そういうものかぁ」と納得してくれる。
サービス業だとそうは行かない。

例えばボランティアなら
対価として「感謝の言葉」でも欲しいところかもしれない。
しかし、少なくともそれで対価を得ているのであれば
もしくは、プロを目指しているのであれば
感謝の言葉など必要ない。
「同情するなら金をくれ」なのだ。
ものつくりはボランティアではない。


表現者という意味では芸能人も同じことだろう。
芸能人が自分のネットの悪口を批判したりする。
最低だと言いたい。
お前は芸能人だろう?と言いたい。
それが引き受けられないならやめちまえ。
誰とは言わないがそんなプライドもないのだろうか。
噂が彼らをつぶすこともあるだろうが
一方で、今、彼らが生活できているのは
良い噂のおかげでもある。
悪い噂を否定して、良い噂だけを受け入れるなんてムシが良すぎる。


「やっぱり良いものは世に出る」なんて夢物語は信用できない。
すべてはタイミング。
良いものが必ず世にでるなら、孔子は世界の王になっていたに違いない。
ゴッホの時代にはゴッホになれなかったたくさんの不遇のゴッホたちがいる。
不遇の表現者たちを救うのは
多くの人の温かい、そして辛辣な批判でしかない。

そして、僕は自分の関わったコンテンツの
たったひとつの賞賛を探しにネットを放浪します。
そして、どぎつい批判の嵐の中にある
「おもしろい」という言葉少ない感想に涙することもあります。
その人に会って、もしできることなら抱きしめたい。
そして批判をしてくれたユーザーには
大切な時間を割いてくれたことへの感謝と謝罪の気持ちでいっぱいになります。

「こんどはきっとたのしませるからね」
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by radiodays_coma13 | 2009-11-19 01:55 | 考える
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