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言葉と文化
by radiodays_coma13
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産湯の記憶 赤ちゃん空を飛ぶ
 週に二回、酸素不足になるまでスポーツクラブで小1時間泳ぎつづける。そうしないと落ち着かない。小学校4年生になるまで水が怖くて泳げなかったのに、考えると不思議なものだ。水に浸かっていると妙に安心する。「安心」というのか、恐怖と安堵、対極し合うものが癒着した不思議な感覚。なんだろう、その感覚の中枢に触れたくて、いつも泳ぎつづける。泳ぎすぎてクタクタになる。いつもいい所で体力が限界になる。

 今日は休日なので「赤ちゃんスイム」というお母さんと赤ちゃんが一緒に泳ぐカリキュラムを行っていた。お母さんたちは歌を歌いながら子供をゆすったり、水の中に放ったり、いろんなことをする。僕はその隣りのコースで泳いでいる。今日は実に天気もよく、プールに光が差し込んで気持ちが良かった。そういう光景を見ていると、僕自身も赤ちゃんになって泳いでいるような気がして、なんだかとても幸せだった。「おいでおいで~」という若いお母さんの胸に、「ばばばばばば」って僕が泳いで行くことを想像してニヤけた。

 赤ちゃんは実に不思議な生き物だ。ビービー泣いているから、水が怖いのかと思っていたら、水に浸した瞬間、泣き止んでしまう。さっきまで泣いていた子が、おいでおいでの掛け声に、腰掛けていたプールサイドから入水してすいすい泳いでお母さんの元にたどりつく。一瞬沈んで心配してしまうけど、10年前から泳いでますっていう年季の入り方で、ちゃんと器用に手足を動かし前に進んでいく。僕だったら泣くね。「ちゃんとフォローせんかいっ!殺す気か!」って泣きながらブチ切れる。絶対に。

 泳げない、ってのはそれを見る限り後天的なものかもしれん。だとしたら僕の水恐怖症は、父親あたりが僕を風呂に入れて水の中に落っことしたか?そんなことも心配になってくる。赤ん坊はもともと羊水の中で浮かんでいるようなもんだから、水恐怖症ってちょっとありえない。本来は落ち着くべき状況なのだ。僕の水恐怖症が先天的なものだとしたら、僕はとっくにお腹の中で溺れてた。

c0045997_1184376.jpg …溺れてたらしい。4度も流産しかけたと母が言うのだ。しょっちゅう暴れてお腹から足の形が見えることがあったって。今でもよく落ちる夢をみる。夢じゃなくてもよく落ちる妄想に囚われる。ただ立っているだけで、高所恐怖症的な恐怖がふと襲ってくることがある。特に天気の良い日、自分が空に向かって落っこちていきそうな気がすることがある。思わず「はっ!」と声を出してしまう。

 三島由紀夫の小説「仮面の告白」で産湯の記憶についての記述があります。「金のたらいの縁が光った」。これは創作だという説が有力ですが。僕にもそれと似た記憶があり、それがどの年代の記憶なのかわからず仕舞いどころに困っている記憶がある。それは、ただただ眩しく、ただただうるさく、ただただ息苦しく、とにかく目が回っている自分の記憶です。(※二日酔いになった最近の記憶ではありません!)そして、絶望感。「落ちてしまった」というこの記憶はどこから来るのか。

 本当に綺麗な海で泳いだことのある人ならわかる感覚、自分が水の中にいることを忘れてしまうような浮遊感。高所恐怖症の人ならジタバタしてしまうだろう。僕が幼い頃感じた水の恐怖は、物理的な水に対する恐怖ではなく、窒息と墜落への原理的な恐怖であるように思う。そのような恐怖を今は感じることがなくなった。でも、時々、自分がこの地上からどこかに落ちて行ってしまう嫌な夢を見る。そういう時、僕は仕事中であろうが声をあげる。かなり恥ずかしい。

 「泳ぐ」という行為はもしかしたらその「落ちる」行為の代償ではないかと思うことがある。どこから落ちてきたのか、どこへ落ちてゆくのか。時々お風呂に、水中眼鏡を持ちこんで、純粋に「潜る」という遊びをしている。息が完全に切れた所で光の加減が少し歪んで見えることがある。もしかしたら、そこを越えると「おんぎゃあ」って違う世界に落ちてゆけるのかもしれないとい思う。そしたらまた、キラキラしたプールで「ばばばばば」ってピチピチした胸の中に飛び込めるのだろうか。と、そんなことを思ってみた。僕だったらやっぱり泣き止んじゃうね。
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by radiodays_coma13 | 2005-03-27 01:21 | 感覚について
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