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言葉と文化
by radiodays_coma13
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幸せの技法
仕事柄、「人間の感覚」に興味がある。
人が何を面白いと感じ、欲しがるのか

僕は自分に「センス」や「運」がないせいか
センスや運に頼るという考えがない。
そんな神頼みのようなもので
人にお金を払わせられる気がしない。

人の心は科学的に分析可能で
そんなに複雑なものではないと
ドライに考えている。


そこで、人が最も強く願い
それを求めるゆえに神頼みするもの
「幸せ」について考えたい。

どうして人類の多くが幸せになれないのか
不思議で仕方がない。

それは「幸せって不思議だね」という意味ではない。
どうして、人は幸せについて考えないのだろうという意味。
なにか天啓のようなものによって幸せがもたらされていると
考えている節がある。
自分自身では幸せをどうこうできないような気風が不思議なのだ。
つまり、どうして幸せを「科学」しないのだろう。

これは決して宗教ではない。
断固として宗教と幸せを分離したい。


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「ザ・シークレット」という本が話題なので買ってみた。
幸せについて書かれた本と言ってもいいと思う。
なんだか変な宗教みたく、とても気持ち悪い存在なので読むことにした。
引き寄せの法則といって、良いイメージをすることで
そのことを引き寄せることが可能なのだという。

なるほど
幸せなイメージをたくさん持てばいいのか。
でも、どうして人は悪いイメージばかり抱いてしまうものなのだろう。
そのことについてこの本はきちんと教えてくれていない。
良いイメージを持て!といったところで
ここのところを教えてくれないと
本当に幸せになれる本とはいい難い。

「ザ・シークレット」が正しいかどうかは置いておいて
人は不幸について考える動物なのだと思う。
人だけではなく動物は、色々な不安におびえて行動する。
そうしないと、いろいろなアクシデントで危険に陥る可能性が高くなる。
それは生き残りのためでもあったはず。
幸せのことばかり考えている動物は、近くにライオンが来ている可能性について
考えず、ぼやっとしてすぐに餌食になったはず。

なにか少し良くないことがあると、いろいろな最悪なケースを考えて
頭がいっぱいになる。気持ちはどんどん落ち込む。
よいイメージを持とうと努力しても、
「病気が治って元気いっぱい!」みたいなメモ一枚分のイメージしかでてこない。
最悪なイメージは細部まで湧き出てくる。
腰が痛いことをオカズに本一冊分は書ける。

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昔からどの文化でも天国の絵より、地獄の絵の方がイメージ豊かである。
人はそのようにできているとしか言いようがない。
色々な天国の絵と地獄の絵を見比べて
どちらに遊びに行きたいですか?と聞かれると
僕は地獄の方が面白そうだと思う。
だって、遊園地みたいなんですもん。


天国の絵になると人の創造力は
どうしてこう退屈なんでしょうか。

つまり、人は幸せを想像することに向いていない。
きっとそんなふうにはできていないのである。
そのくせ、想像できていないなにかを到達点にすようとする。

それが不幸を呼んでいる。

人は幸せを到達点にしてしまう。
そこにいけばゴールみたいななにか。
そんな回答を用意してしまうので
そこに行くまでの状況が常に満たされていない
それを「不幸」と感じるのではないだろうか。
「お金持ちになりたい」→「なれない」→「不幸」

そしてチープなイメージだとして
たとえ運良くゴールインしても
幸せは一瞬。
ゴールするときのテープカットの瞬間だけ。
で、あと、どこにいけばいいのだろう?
よく、大きい幸運や目的を達成した人が
その後、鬱になるという。
まさにそれ。

幸せは一瞬
不幸は状態


男性のオナニーのようなものだ。
これは名言でもなんでもなく
今のままでの幸せの考え方では
そうならざるを得ない。

「有名人になる!」
チープな幸せのイメージ一個もっていたところで
当選確率は低い。
それは単純に確率の問題なのだ。
でも、人は不幸に対してはものすごくイマジネーション豊か。
当然、当選確率は高くなる。


本当は幸せは「単純」なものだと思う。
でも、「単純」と思いたくないなにかが人にはある。
人には自分を単純な存在だと思いたくないなにかが機能している。
このことは確かだと思う。

幸せになるのは至極簡単。
食べればいい。
遊べばいい。
愛し合えばいい。

で?
で、それ以上あるのか?
問いたい。
それ以上あります?
んー
それ以上あると思いたい。
それ
それが不幸の始まり。

でも、それすらも満足に得られないという状況がある。
じゃあ、それは不幸か。
それこそ、想像力の出番ではないか。

程度の差こそあれ、
「ない」ことから想像すると
少しでもあることに喜びを感じることもできる。
腰は痛いけど、生きてるだけ幸せとかね。
素食だけど、それが素敵とかね。
小さな幸せはたくさんある。

それからネガティブなものにも幸せなイメージを持てばいい。
さびしさのおかしみ
わびしさのおかしみ
があるようにいろいろなものに「おかしみ」がある。

痛みにもおかしみがある。
腰痛を患っている自分を楽しむということがある。
先日、どこかの駅で腰痛で身動きできなくなっている自分を
もうひとつの自分がみてなんだか楽しくなってしまった。

よく貧しい経験をした人があの頃の方が楽しかったという。
それは豊かなになった人だから言えるのだというかもしれないが
それを楽しむ余裕があった人だから、くさらず精神的に耐えられたのだとも言える。


大きな不幸があるようにもちろん大きな幸せもあると思う。
でも、幸せはシンプルで簡単だと思う。
小さなことに幸せを感じないと
頭がカタクなりどこにも幸せを感じられなくなる。
幸せはきっと筋力のようなもの。
小さな幸せでマッサージしておかないと
大きな幸せを持ちきれず、ギックリ腰になるんです。
小さな幸せを感じるトレーニングをすると
いろんなことに幸せを感じられるようになる。

「心を鍛える幸せストレッチ」
なんて本、出てないかしら。
でてたら、売れそう。
僕、買わないけど。

つまり、幸せという瞬間ではなく
幸せという状態を作るわけです。
それだけです。

僕はむかしからいつもいつも幸せです。
時々、つらくて泣いちゃうけど

追伸
日々成長する子供を抱えてギックリ腰になりました。
これも大きな幸せを持ちきれなかった例です。
ストレッチは重要ですよ。

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by radiodays_coma13 | 2009-10-17 07:21 | 考える
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