人の家に行ったら、まず、本棚とCDを確かめてしまう癖がある。読んでいる本や聞いている音楽で、その人の好き嫌いは決めるつもりはないけれど、聴く音楽や読む本の傾向で、その人がどんな人なのか見えてくる。それだけで判断しようなんて思わないけど、例外もある。これが、結構、侮れないのだ。要注意なのが浜田省吾と尾崎豊。いや、決して、彼らの歌が悪いと言うのではない。でもね、彼らのファンと言うのは、僕が知っている範囲では、いいですか、知っている範囲ですよ。ここ、大切です。いついかなるときも大音量でそれらの音楽をかけたがるのです。いついかなるときも!一度なんか、自宅に招いた友人が「BGMかけていいか?」と言って、おもむろにポッケの中から尾崎豊のMD取り出した時には驚きました。
大学の頃、となりの研究室の彼がもう、朝から晩までハマショーを掛けまくるんです。その時ばかりは気が狂うかと思いました。どんな音楽でも、一日中同じモノを聴かされたら気が狂うと思いますよ。よくTUTAYAとかの玄関にちょっとしたゲームが置いてあるでしょ、ぴろぴろろ~って鳴らしてるじゃないですか。あれね、僕だったら一日でアウトです。それを理由に即日退社しますね。で、僕は日本画専攻だったんですけど、これはハマショーに合わないんですわ。「まねー、まねーいっつあくれいじぃ~」ですからね。「いい加減にしてくれないかな~」と隣をガラガラっと開けると、そいつがね、サングラスにジージャン着て日本画描いてるわけ。もう、怒る気もなくなっちゃいました。
音楽にはTPOがあると思う。なんにだってTPOはある。僕は人も食べ物も音楽も滅多に好き嫌いしない良い子なのですが、空気を読まないものというのがとっても苦手です。空気を読むのは人だけじゃありませんよ。植物だって春になったら、空気を読んで、そろそろいいかな?って地面から伸びてくる。そういうやつを自然からちょっと拝借して食べるのが一番おいしい。それは食べる側の心意気も同じです。食べたい時がそれを体が必要としている時と心得て、注意深く食べたい物を考える。誰も朝からステーキを食べたくはならない。もしかしたら、そんなワイルドで意味深な朝だってあるかもしれないけど。とにかく、正坐して日本画を書いている時にハマショーはTPO違反で厳罰です。でも、やっぱり僕にも尾崎豊やハマショーを聴きたくなる時が来るかもしれない。例えば、社会から寄ってたかっていじめられて、酔いつぶれて、路地裏で座り込み、恋してる人のことを思う時とか。(そういうシチュエーションに遭遇するか疑問ですが)「I LOVE YOU♪」とか歌っちゃうのかねぇ。歌わないと思うけどねぇ。でも、正しい状況に正しい場所、正しい状態で音楽を聴けば、どんな音楽だってすばらしいと僕は思います。
で、ここからが本題。昨日、会社の人からCDを借りたんです。「アルタイのカイ」という民族音楽。以前、このブログでも取り上げたホーミーという音楽です。で、これがスバラシイ。僕はTVをほとんど見ないせいか、流行歌というのはまったく聞かない。ファーストフードみたいで、なんか体に悪そう。音楽にもスローフードとファーストフードが存在する。そのCDを会社で聴き始めたら仕事がまったく手につかなくなっちゃいました。仕事中に聴く音楽じゃありませんね。TPO違反。でも、なんか聴いてると、仕事してるこっちの方が間違っているような気になっちゃいました。勝手に涙がぽろぽろ出てくるんですね。こういう音楽というのは力ずくで、人の心をあるべき所へ引き戻す作用があるように思う。少しだけCDの中から詩を引用させてもらいます。
長い夜を短くするため、聴け、わたしの歌うカイを。
重い頭を軽くするため、我が子よ、わたしは語りはじめる。
この世で一番のあの日の出をもっと長く見るため、
聴け、わたしのカイを。
おまえに心の平安を運んでこよう、
わたしはわたしのウルゲルの言葉を歌いはじめる。
これらの歌を聴いていると、歌い手がこの世を超越したところから声を通じて私たちをもっと大きな繋がりへと結びつけてくれるような気がします。
で、正しいTPOの音楽について話したついでに、作品をひとつ。アルタイのカイに触れた後でなんなのですが、以前、制作したラジオ番組から「シチュエーションミュージック」というのを。これはまさにコンセプトはTPOに適した聴き方を提案するというもの。今日、紹介するのは「トラックの運ちゃんが聴く舟歌」です。オープニングとCMそして曲(途中までです)をお楽しみ下さい。
「RADIO」