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言葉と文化
by radiodays_coma13
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うんこうんこ、うんこ学
 うんこの話。食事中の人にも構わずうんこの話。うんこうんこうんこっこ。ああ、スッキリした。この言葉ってタブーですよね。でも、時々、無性に「うんこ!」って叫びたくなる。なりません?そういう時は人のケイタイに電話をかけて留守電に「うんこうんこ!」と吹込みます。いや、特にうんこが好きなわけではないんですよ。なんか変な言い回しですが…。でもね、考えてもみたら毎日、うんこしてるんです。いわばお馴染みさんです。

 僕には年に一度くらい観る美しく神秘的な「うんこの夢」がある。それが昨夜訪れた。久しぶりの夢だった。僕はこの夢をすごく神聖なものと受け止めている。この夢を見た後は、自分の状態がすこぶる好調になる。いや、誤解なきよう、うんこは好きじゃないですよ。もしかしたら、人よりも嫌悪感を感じている方かもしれない。

 その夢というのが、時代はおそらく平安朝。建物の中。ちょうど、源氏物語絵巻に出てくる世界観。あの直線的平面的な不思議な空間。汚れの微塵もないクリーンな空間。時間はまるで死に絶えたようにみえる。風に吹かれた御簾が、たなびいたそのままの姿で制止している。その一室、部屋の真ん中に四角い穴が開いている。その真っ黒な穴の向こうに宇宙のような暗い無限を感じる。部屋の中は伽羅香が焚き染められていて、その穴が当時の厠ということが理解できる。視線はその穴の中にクローズアップされる。そこには白銀のような液体。液体はシャンパンのように細かい泡をたてている。その中に沈んでいる鈍く輝く黄金色の物体。もしや、これは伽羅木で、先ほどの匂いの正体はこれかと思う。と、そこに一匹の銀蝿。その銀蝿は青銅色に輝く甲冑をつけ、その物体の上を美しい螺旋をかいて、喜びの飛行をしている。おそらく、その蝿が自分であるようだ。規則的な螺旋と図形のような直線の空間、私はそこで数学的な法悦に浸っている感覚になる。とまあ、こんな夢だ。

 どうです、なかなか厳かな夢でしょう。僕はこの夢の記憶をどこで手に入れたのでしょう。もしかしたら、前世は銀蝿だったのかもしれん。あんなふうにうんこを美しく感じれるというのはそういうことかしらん。でもね、現代のわたくしは、もう、うんこ恐怖症、公衆トイレに入れない屁タレです。やむおえずの時は、隣から音が聞こえないように耳を塞いでます。こんなわたしが田舎の奄美大島で長期の夏季休暇をとるときだけ、うんことお友達になります。20年ほど前はまだ、トイレの中身を肥として使っていました。それのお手伝いです。最初は嫌なんですが不思議なことに慣れてくると、少々、手についても、ああ臭いわあ位で笑えてくる。思うに、清濁という感覚は後付のものではないか。赤ん坊や痴呆の老人は、自分の排泄物に対して異常な興味を示すそうです。つまり、ひとは言葉によって、善悪や清濁といった、観念的二極的な考え方を身につける。しかし、その間に零れ落ちる感覚があるように思う。

 布施 英利さんという解剖学出身の美術評論家の方の有名な言葉に「一家に一枚、死体写真を」(だったかな?)がある。現代人の生活ってことごとく、自然を排除する方向に動いている。街の街路樹や庭の鉢にしたところで、飼いならされた自然でしかない。死体写真に接することで、我々も自然という暴力的なものの一部であることを再認識する。そして、二極的な考え方の中にこぼれたものを掬い上げる。
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 昔の人々は「九相図」といって、人が死んで腐敗していく様を九相の絵に描いたものを珍重した。それらの様々なバリエーションは今でも随所の寺に残っている。有名なところでは京都の安楽寺に「小野小町九相図」がある。小野小町のように美しく高貴な女性でも死んだら、膨れ、腐り、血や膿にまみれ、獣の餌食となり、骨だけに変わり果て、最後は土灰になる。素晴らしい絵だ。でも、家に飾るのはどうかとも思う。しかし、こんなことをしなくても、我々は毎日うんこをする。うんこだってネイチャーだ。我々の中でおこっている腐敗であり、死の一部でもある。目をそらしちゃいけない。毎日彼らはやって来る。
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by radiodays_coma13 | 2005-03-15 10:10 | くだらないこと
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